ケーキの誘惑 | ポテトサラダ通信(校條剛) | honya.jp

ポテトサラダ通信 75

ケーキの誘惑

校條剛

 ケーキが好きです。甘いもの全体に目がないのですが、和菓子やパフェ、クレープ、ぜんざい、果物類など数ある中で洋菓子のケーキが一番に好きなのです。五十代のときは、ケーキを肴にビールが飲めると自慢していた時期があったほどです。
 妻は甘いものを食べ過ぎると頭が痛くなるとかで、ケーキも一切れで十分なようですが、私は糖分と油脂の結合体であるケーキを際限なく摂取することが可能でした。なにしろ、ビールのお供はケーキでいいと豪語していた人間ですから。

 実は甘いものとの付き合いは、大人になり、給料を貰う社会人になって、さらに結婚したときにも始まっていませんでした。妻に尋ねても、私が甘いものに執着するようになったのは、かなりあとになってからだと言います。
 そうなんです。私が甘党に転向したのは、中年になってからで、少なくとも五十代に突入するまでは、甘いもの、とくにケーキに強い興味を持つことはありませんでした。恐らく、子供のころにケーキはもとよりお菓子全体になじみがなかったからでしょう。経済的に豊かではなかったこともありますが、母親は紙芝居のときに売られる駄菓子でさえ、「不潔だから」と買うことを禁じていました。もっとも、甘いものには快楽を感じていたこと自体は確かなようです。バナナほど美味しいものがこの世にあるとは思えず、腹いっぱい食べられたらどんなに素晴らしいだろうと空想していましたからね。バナナをふんだんに食べられる境遇に変わってから、夢の実現のため、山のように購入したかと問われれば、そうではありません。二、三か月に一枚のLPを手に入れて、溝が擦り切れるほど何回も聴いていたのに、何枚でも買える給料取りに変わった途端、ほとんど買わなくなってしまったこととよく似ています。
 
 ところで、ケーキが好きだ、コーヒーも好きだと言っても、たとえばケーキの種類や製法に詳しいわけではありません。ケーキの種類で言えるのは、モンブラン、ショートケーキ、シュークリーム、チーズケーキくらいで、この文章を書いているときにサラヴァンというラム酒だかを使ったものを思い出しました。まあ、そんな程度なので、ケーキを支えている生地がスポンジなのか、タルト生地で仕上げているのかとかも意識して食べていなかったようです。つまり、食欲が知識欲に勝ってしまっているのです。食欲が強すぎるので、飲み込むようにあっという間に食べてしまうわけです。糖尿病への引き金の一つは、早食いにあるようですので、十分に要件を満たしていたということです。
 ケーキにコーヒーは付き物ですが、コーヒーに目覚めたのも、晩年に差し掛かっていたころで、ほぼケーキへの興味と同時だったと思います。若いころは食後にかならずコーヒーを飲みたがる人種を軽蔑して見ていたほど、コーヒーには無関心でしたが、現在はコーヒーを一杯も飲まない日々は考えたくもありません。

 人生はところどころで暗転するものです。いまお話ししてきたケーキ好きの日常に赤信号が付いたのは、私が六十歳を迎えたとき、2型糖尿病と宣告を受けたときからです。ケーキだけではなく、和菓子はもとより、炭水化物一般の制限が告げられたのです。
 もちろん、たまにはケーキも和菓子も口にすることはありました。しかし、せいぜい一週間に一回という頻度に過ぎませんでした。

 糖尿病は一つの症状の病気ではありません。そもそも動脈硬化が原因ともいえる病気なので、血管の詰まりを引き起こしていることが多いのです。私の場合、頸動脈のプラークが十年ほどまえから肥厚が見られていましたが、つい最近のエコー検査で5ミリに達している箇所があることが判明しました。1年まえの検査のときよりなんと1ミリも増えていました。プラークというのは、血管の内部に積もった垢です。歯垢と同じく、細菌と脂肪の屑が血管内に堆積したものです。歯垢と違うのは、外部に露出していないために、ブラシでこすり取ることなど到底出来ない相談であることです。外科手術は医者も嫌がる難しい領域のものです。現状からさらに悪化しないような食生活を選ばざるを得ません。

 それ以来、たまのケーキも原則禁止という条例が我が家で発令されました。もちろん、私だけに発せられた条例です。
 コーヒーも実は頻尿の主原因なのですが、それを奪われるとほぼ私の生き甲斐が絶えてしまいます。午前中に飲む一杯のコーヒーがいま私の毎日を支えていると言うと大げさですが、当たらずとも遠からずなのです。
 それにしても、チェーンのコーヒーショップに入って、コーヒーだけ注文するのは寂しいものです。良きお供となるケーキやクッキーと一緒に味わうと、コーヒーの美味しさがが倍加するのに我慢しなければならないのですから。
 次にケーキを食べられるのはいつでしょうか。ひと月一回くらいは、神様が許してくれると信じているのです。