『小説作法の殺人』アフター | ポテトサラダ通信(校條剛) | honya.jp

ポテトサラダ通信 59

『小説作法の殺人』アフター

校條剛

■書評、取材なし
 ミステリー評論家などの書評家、新聞などのマスコミは、72歳の作者には関心が持てないようです。一昔であれば、高齢(自分ではこう言いたくないのですが)作者のデビューは、話題性たっぷりだったのでしょうが、もう珍しいことではないのかも。72歳は中途半端な数字なのかも知れません。以前は懇意だった新聞記者も声を掛けてきませんでした。やはり、高齢の読者は購買力が落ちるので、新聞も読者対象から外しているのか、意識的に避けているとしか思えません。いまや70代は話題性に乏しく、商売の対象にもならないのです。いっそ92歳であれば、興味を持たれたのかもしれませんね。
 残念なことですが、私が本を送った友人・知人はほとんど70代です。この年齢層は、もう二千円近い単行本を買おうとは思っていません。さらに、値段だけではなく、もうモノを増やしたくないという年齢層でもあります。この層は知り合いに口コミで波及する発信力も失っています。実はこの年齢層もかなりの確率でネット生活に嵌まっているので、通販のサイトをサーフィンするためにスマホばかりいじっているかもしれません。スマホは書籍を遠ざける元凶です。

■レヴューも少ない
 Amazonのレビューの多さが売れ行きを素直に表わしています。この原稿を書いている時点では12、そのほとんどが実は知り合いです。高評価を狙っているわけではありませんが、評価数とレビューを目安に書籍を求める読者は多いので、数を増やすのが目標になります。私は買いたい本があると、Amazonでレビューを読んでから、書店でということが多いです。
 自分では代表作と考えている『ザ・流行作家』(講談社)という本は評価が一桁でした。しかし、2020年に刊行した『にわか〈京都人〉宣言』(イースト新書)は現時点で65もあり、「京都」本の強さを実感しました。文芸評論や作家の評伝は人気がありません。

■しかし、知人からは絶賛相次ぐ
・会社経営I氏「とても読み応えがありました。流して書いているところが全く無いので、読んでて飽きませんでした。読後感が残る本って最近読んだことがなかったので、まったく、胸にぐっときましたね」
・医師K氏「良く書けてる。面白かった。最後の方で、虫のこと、阪神大震災のこと、なぜ、こういう挿入部分があるのかがはっきりした。とにかく大傑作だと思うよ。良くこんなに複雑なストーリー展開ができたなあ。最後の締めも素晴らしかった。絶賛だよ。直木賞とか、本屋さん大賞とか、ノーベル賞とか獲れるといいね。印税がガッポガッポ入るといいね」
・大学教授T氏「一章ずつ楽しみながらと手にしましたが、先へ先へとページをめくってしまい、最後はやられました。思ってもいない結末でした。舞台はひとところではないのも動きがあって読者をひきつけます。スピード感がもの凄くありました」
・フード・コンサルタントK氏「後半一気に最後の場面に持っていきますね。ラストのどんでん返しにも驚きました。細部の描写が緻密で、リアリティがあります。それぞれの町の空気を感じることができます。マリと安田も次作にも登場させたいキャラクターですね」
・元出版社役員Y氏(文芸専門)「常念とマリのコンビが良い。警察嫌いも好感! 描写は翻訳物ほどくどくなく、大阪門真の様子や阪神淡路大震災での場面など迫るものがある。人物描写に過不足なく、人物に与えられた名前にセンスがあって驚く(素人は名前のつけ方が下手)。文章、プロット平板に陥るかと恐る恐る読み進めたが、そんなことはなくぐいぐい引き込む力があり、楽しめた。校條(免条)さんの小説力に乾杯! 次作期待!」
・翻訳家T氏「ストーリー展開の巧妙さに翻弄されながら最終章に至り、最後のどんでん返しの鮮やかさに、いささか呆然としています。面白かった! なるほど、このエンディングにしてこのタイトルあり、なんですね。京都をはじめとして、主として関西圏で進行する背景描写には、校條(免条)さんの京都体験が十二分に生かされている感があり、さすがと思いました。とってつけただけの描写ではなく、土地柄に身をもって精通した者のみがかもしだせるリアリティがあって、作品に厚みを与えていると思います。
 それにしても、この複雑なプロットを一糸乱れもなく引っ張ってゆく筆力の見事なこと。こういう熟練の筆に接すると、次はどういうあやかしの街でたのしませてもらえるのか、期待するところ大です」

 上記の皆さんは、ミステリー愛読者ではないとしても、日頃から読書の習慣を持っている方々です。私に気を使って、おもねるような、不自然な物言いをしていると、感じられますか? 私には、これが一般読者の素直な感想だと思えるのです。
 日本のミステリー界は、伝統的に「密室」などの人工的、ゲーム的な設えを好みます。さらに、近年は「ゾンビ」を登場させるような「特殊設定もの」が大流行です。私の作品のような「時代遅れ」のスタイルはお気にいらないようです。しかし、私のような「人間中心」の作風を好む「Happy Few」のために書いていこうと決意しています。
 最近、30年まえに発売されたトマス・H・クックの『過去を失くした女』を読みました。この解説にあった言葉を引用します。
――確かに探偵の多くは時代に遅れている。だが、時代錯誤者でなければ、信条を貫くことはできない。

*前々号の57番で「今後はペンネームの免条剛を使用する」と明言しましたが、本年5月に刊行予定のエッセイ本は、本名「校條剛」でいくことになりました。小説のみ免条の文字を使うことになりそうです。