ポテトサラダ通信 53
ビデオがこの世になかったころ
校條 剛
映画「俺たちに明日はない」(原題「ボニーとクライド」)のDVDが欲しくなったのは、一つの印象的なシーンをもう一度観たかったからだ。
クライドとボニーのギャング・カップルが、銀行強盗を重ね、殺人を犯しながらも逃げ延びている中頃で、ボニーがホームシックに囚われ、「お母さんに会いたい」とクライドに泣きつくところから始まる。クライドが許さなくても、彼と別れても会いに行くとボニーは強い気持ちを示す。根負けしたクライドは、お母さんの家から離れた田舎の麦畑で母子を再会できるようにセッティングする。ボニーの「母恋し」の心情に反して、母親は厳しい口調で、「逃げ延びられるわけはない」とボニーを責める。
そのシーンのロケイションが素晴らしい。麦畑なのである。一面の緑ではあるが、色調は暗く、強い風が吹いている。風が麦の林をなぎ倒すように、通り過ぎるが、麦もさるもの。風の形を残しながらも、バネが仕掛けられているように、また起き上がる。何度も風は吹き、麦がマスゲームのように、倒れては立ち上がる。
その麦畑を背景にして、ボニーと顔中皺だらけ、痩せこけた母親は言葉には表わさないが、最後の対面だという諦めを無感情に見える目に浮かべている。
というシーンだったはずなのだが、DVDにそのシーンはなかった。いや、実際はあったし、母子は人里離れた丘の麓の空き地で対面するのだが、そこは麦の一本も生えていないような荒蕪たる土地だった。
あの美しい麦畑はどこに行ったのか? フィルムが差し替えられたのだろうか? そんな馬鹿なことはあり得ない。私の思い違いであったとしか考えられなかった。
麦畑のシーンは確かに記憶に残っているが、おそらく別の映画で観たのだ。それが、ボニーと母親の対面シーンとどこかで合体してしまったのだろう。
では、いったい一面の麦畑のシーンはどの映画で観たのだろう。
もう一つ、「俺たちに明日はない」で思い違いをしていたことがある。「ベビーフェイス・ネルソン」を始め、何人か仲間がいて、グループで行動していたと思い込んでいた。
ところが、ボニーとクライドの仲間は少しオツムの弱いC・W・モスという小柄な若者だけだった。ベビーフェイス・ネルソンは、「デリンジャー」という映画に出ていることを調べ出した。しかも、ネルソン役の俳優がリチャード・ドレイファスだったというのもいまさらではあるが驚いた。
昔観た映画は、もちろん観た直後は細部まで覚えているだろうが、その後、他の映画のシーンがうわ書きされて、今回のように勝手な記憶を作り出してしまうことがある。
いまはもうビデオ(ヴィデオ)という呼び名が死語になっているのかもしれないが、DVDやネット配信に変わったといえ、映画コンテンツを自宅の再生装置で何度でも観られるようになったのは、たかだか半世紀ほどまえのことだろう。
映画というものは、一回きりの出会いしか可能ではなかった時代が何十年も続いていた。もちろん、映画館に何度も足を運べば同じ映像を観ることができるし、現実に私は、「アラビアのロレンス」に凝っていたときは、それぞれ別の映画館で四回観ている。ロードショーから二番館、三番館とランクが落ちる順に、近県まで赴いてまで同じ映画にこだわるファンもたくさんいた。
しかし、普通は同じ映画がリバイバル上映されない限り、何度も観ることはしないで、それこそ一生に一度の出会いだったのだ。
シーンの正確な読み取りの失敗ということである。私は作家菊村到さんとの会話をよく覚えている。ちょうど西部劇映画「シェーン」のビデオが発売された頃だった。
菊村さんが感に堪えたように言う。「シェーンは撃たれていたんだよね。以前、映画館で観た人たちは誰も気がつかなかった。ビデオで見直してみると、シェーンの左上のロフトから撃たれている。少年ジョーイが『シェーン危ない!』と叫んだので、振り向いてそいつを打ち倒すのだけど、そのときすでにシェーンは撃たれていたんだ」。なんと、そのことに、日本人観客のほとんどが気づいたのは、ビデオが出てからなのであった。
いまDVDで観ると、ラストのシーンで少年ジョーイは、「血が出てる。怪我をしたんだね」「本気を出せば、撃たれなかったよね」とセリフではっきり言っているのにも拘わらず、観客はシェーンは相手の三人を全て打ち倒した(それは事実)と信じていた。
シェーンが撃たれたなんて考えもしなかったのであった。いや、撃たれたと分かった人も致命傷とは思っていなかっただろう。
さて、また麦畑に戻ろう。では、「デリンジャー」に麦畑は出てきたのか? あの胸に風が吹き通るような叙情的なシーンがあったのか?
ふと思い出したのは、サム・シェパードとリチャード・ギアの出演した「天国の日々」である。この映画は麦畑がふんだんに登場する。いま予告編などで確認しても、私の記憶に残っているシーンは現われないが、麦畑が主たる背景になっている映画であることは確かである。
DVDを買うか、AmazonプライムとかNetflixで観ればいいのだろうが、まあ、いつか分かればいい。「天国の日々」はとてもいい映画だった記憶が残っている。