ポテトサラダ通信 25
一つになってしまった手袋は、
どうしてそれが捨てられようか
校條 剛
春はまだ浅いが、手袋とマフラーの季節もそろそろ去ろうというときに、手袋を失くした。両手一組のうちの一つを落としてしまったのである。
血の色に似た赤い手袋だった。ニットではあるがウールではなく、ユニクロで買ったので多分ヒートテックの商品だろう。実はその前に使っていた紺色のニットのやつの、やはり片手分を失くしてしまったので再度購入した代物だった。半年は使ったのだろうか、すでに黒っぽい毛玉が裏表にぽつぽつと咲いていて、十分に用は足りていたが、よそ眼には見苦しくなっていただろう。自転車では網目から風を通すが、街歩きのお供としては軽くて温かいので重宝していたのだ。
まるで人さらいにあったようだった。東京の自宅から妻と一緒に歩いて20分くらいの最寄り駅までいったときである。直前の記憶があいまいなのだが、二階のコンコースへ向かう駅の長いエスカレータに登っている途中で、手袋の一つがないことに気がついた。自分の荷物は、手提げのトートバッグだけである。そのなかに押し込めたティシューを使おうと、片一方の手袋を脱いだことまで覚えている。トートバッグのなかに手袋の一つを放り込んだつもりだった。エスカレータの上で、直後に手袋の片一方の姿がないことに気がつき、エスカレータの三分の二あたりの高さから見下ろしたが、その場所で落としていれば、エスカレータの吸い込み口に入らずに引っかかっているはずである。赤い色はそこに見えなかったので、妻に落としたらしいことを伝え、登り終わってから、下りのエスカレータに乗り換えて、いま通ってきたばかりの道を戻っていった。おそらくこれ以上先で落としたことはあり得ないと判断した、小学校の柵のあたりまで走ったが、落ちていればすぐに目につくはずの目的物には遭遇しなかった。
駅のコンコースには清掃の職員が立っていたので、失せものについて尋ねると、交番ではないかという答えだった。まさかと思いながらも、駅の北側下の交番に赴くと、やはりそうした届け物はないとのこと。警察官の目が、じっとこちらの正体を見透かす風であるのに、職業は争えないものだなと変な感心をしてしまった。
一旦、頭のなかでは諦めていない私は、用事を済ませた帰路、再々度同じルートを辿り、目を皿にして、血のような色の物体が道の周囲に見つけようとした。やはり「ない」のだが、ないわけはないのである。諦めきれない私は、帰宅してから今度は自転車で同じルートを走ってみた。なかった。私はよほど諦めの悪い人間なのだろう。翌日も同じルートで駅に向かいながら、手袋を探し続けたのだ。
キツネにつままれたとよく言うが、まさにこの日の経緯がそれであった。ほんの十分ほどまえに道路上かエスカレータで手袋の一方を落とし、すぐに後戻りして、現場に駆けつけているはずなのである。船の上から広大な海に落としたわけではない。その日は、何か所も電車を乗り継いで歩き回ったわけではなく、単純な一本の道を辿って、駅まで着いただけなのである。通行人も少ない時間帯であったし、最寄り駅もターミナル駅のように人波が何重にもなって行きかっているような混雑状態ではなく、足元が見えすぎて困るほどの空き具合だったのである。そういう状況で、どうして目につきやすい色の手袋が消え失せてしまったのか。
手袋は、一つでは用を足さない。二つ揃ってナンボのものなのだが、その片方を落としてしまうことが多いのは、冬場に道路の端や真ん中に落ちている手袋をよく見ることからも読者の方々も頷かれることだろう。通学路に多いのは、大人よりも子供のほうが注意する気持ちが乏しいからであろうが、決して子供たちばかりではなく、よく見かけるのは婦人ものの革製あるいは布製の薄めの製品である。私は、持ち主からはぐれてしまった一つの手袋を見るたびに、一種悲痛な気持ちになってしまう。雨や風が吹きつけるままに野ざらしにされて、寒さに打ちのめされている感じがたまらく辛い。冬場の一番寒い朝など、前日落とされた手袋の片割れに霜が降りているのを見るといたたまれない気持ちになる。持ち主が早く見つけてくれないか気持ちで、いっぱいになるのである。
手袋の落とし物を見つけたときには、現場から持ち去って、最寄りの交番などに届けたりせずに、そのままにしておくか、道の脇の目に入りやすい場所にそのままにしておくのが一番いい。毎日その道を通っている人が落とした可能性が高いからである。
しかし、前日に落ちていた手袋が同じ場所にそのままの姿で翌日も目にすることは多い。どうして、探しにこないのだろうか? いつも使っている道ではないのだろうか? などと、疑問を抱きながらも、それを連れ帰ってあげることはできない。何日もその場所に放置されている場合は、日に日に薄汚れていくのがわかる。屋外で何日もさらされているのだから、当然そういう状態になっていくのだ。
実は昨年もユニクロの手袋一つを失くしていることを始めに述べた。このときは、単身赴任先の京都の寺町通りで落としている。阪急河原町駅に急いで歩いているときだったろう。途中、布製のリュックから何かを出したときだろう。手袋を脱いで、二つともしまったつもりだった。いつもの癖だが、目でしっかりと収納したことを確認せず、手の感触だけで押し込んでしまったのだろう。電車に乗ってから姿がないことに気がついたが、すぐに戻ることは無理だった。夕方、帰り道で親切などなたかが道端に置いていってくれたのではと期待したが、このときもその紺色のユニクロの手袋は見つからなかった。
昨年に一つ紺色が残された。今回、一つ赤色が残った。そうだ、この二つをちぐはぐな組み合わせだが、左右違う色でもいいではないか。結構、いいアイディアだと考えた。だが、まてよ、と記憶をさらった。昨年、一つになってしまった紺色の手袋は、捨ててしまったのではなかろうか。物に対する執着が強く、いつも、ぐずぐずと捨てられない自分に腹を立てて、えいやっとごみ袋に投げ込んでしまったような……。東京から京都に戻って、いの一番に手袋の入っている籠のなかをさらってみると、案の定、紺色の手袋は見つからなかった。
赤い手袋は、いま独りぽつんと籠のなかである。これは、捨てられないだろう。