オモウマTV | ポテトサラダ通信(校條剛) | honya.jp

ポテトサラダ通信 74

オモウマTV

校條剛

「オモウマい店」というテレビ番組を時々観ます。見逃しがないように録画しておくほど熱心ではありませんが、一見ヴァラエティのようなこの番組は「ヒューマングルメンタリー」と称しているようにドキュメンタリー要素がたっぷりと含まれています。
「オモウマ」というのは、料理がウマいだけではなく、それを提供する料理人とその家族がオモしろい人たちだという意味からのネーミングなのでしょう。
 この番組だけではなく、ドキュメンタリーの下地にエンタメ的な味付けを加えた番組が民法各局だけではなく、従来のドキュメンタリーの分野で健闘しているNHKにも広がっているように思えます。

 最近のテレビが面白くないという意見もある一方、面白い番組が増えたと感じる方も私同様おられることでしょう。その理由の一つが、タレントや著名人が出演するものと決まっていたテレビに「普通の人々」が登場するチャンスが増えたということにあると思うのです。
 特定の俳優や著名人ではなくても、普通の人々の背景にも視聴者の想像をはるかに超える体験や経歴があったり、自分とそっくりな生活が垣間見えたりして、そのなかに感動が潜んでいることが分かるのです。
 普通の人々にスポットを当てていて、私が好んで観ている番組を以下に並べてみましょう。

ドキュメント72時間(NHK)
Dear日本(NHK)
サラメシ(NHK。先日最終回が放映されました)
ポツンと一軒家(朝日放送・テレビ朝日)
家、ついて行ってイイですか?(テレビ東京)
ヒューマングルメンタリー オモウマい店(中京テレビ・日本テレビ)
Youは何しに日本へ?(テレビ東京)
 
 少しまえになりますが、昨年(2024年)末に「ドキュメント72時間」の年間総集編を半日かけて放送していました。そのなかで、視聴者のベスト1は福島県の街道筋のドライブインの72時間を記録した回でした。何十年も商売を続けているこの店の外観は、いかにも昔の街道筋の飲食店という雰囲気が濃厚に残っています。本来一見客向けの商売なのでしょうが、実は常連さんが多いことがインタビューから分かってきます。ここに来るお客さんが語ることはどれも面白いのですが(特殊な話題ではなくても沁みることが多いです)、そのなかでも連れ立って来ていた母娘のエピソードが印象的でした。

 母は多分五十代、娘のほうも多分二十台と、「多分」としか言えないのは、顔を出さないで登場しているからです。母親は最初、取材を断わります。しかし、そのあと退店したはずの母親がひとりで取材陣のまえに現われて、戻ってきた事情を述べるのです。
「自分はシングルマザーとしてひとり娘を育ててきました。経済的にすごく苦しくて、ここに来ても一人分の料理しか注文出来なかった。しかし、この店の人はご飯と味噌汁をもう一人分、黙って持ってきてくれました。今はその厚意に対して、お礼をいう気持で成人した娘とここに一緒に来ています」
 客席では目立たずにぼそぼそと会話しているだけの母子にこのような背景があることは、番組のインタビューなしでは到底分かりません。普通の人々の表の顔の裏側に隠れている背景の深さに唸らされました。
 シングルマザーとして娘を育てていく過程で、金銭的なこと以外にも、毎日のように苦労があったことでしょう。小さな喜びもときにはあったでしょうが、二十年近くは苦労の連続だったはずです。その歳月が過ぎて、やっと今があるのでしょう。過去も現在も生き辛さを感じながらも、娘と二人であったからこそ乗り切って来られたのだろうなあと、この親子に幸あれと応援したくなります。
 このドライブインの店主は一見愛想のなさそうな老女なのですが、甘ったるい人情を表に出さずに、素早くお客の置かれている状況を見極めて、細かな配慮をしているのだろうと想像しました。

 現在、一番嵌まっている番組は、「家、ついて行ってイイですか?」です。以前から名前は知っている番組でしたが、ずっと内容を「押しかけもの」ヴァラエティと誤解していたようです。遅ればせながら、昨年末から見始めました。二つのエピソードをご紹介しましょう。

 第一番目は、五十五歳の男性。深夜間近の国分寺駅で声を掛けられます。「今日は落ち込んでいる」と。エキストラ俳優のオーディションに落ちたと言います。IT業のサラリーマンなのになぜ「エキストラ」なのかは、あとで判明します。家族持ちなのですが、自分だけこの駅から近い実家で暮らしていると。
 実家の一軒家に着いた男性は各部屋を案内するのですが、どの部屋も荷物やゴミが散乱していて、寝るスペースも最小になっています。特に台所はまるで見放されたままに放置されていて、調理はほとんどしていないようです。ここに暮らしながら、自炊はしてないのです。風呂も入っていないので、風呂場も整理されていません。高円寺の自宅でシャワーを使ってくるからいいのだと。
 テレビが置かれた部屋のデスクのまえに座って、男性はさっそく缶ビールを開けて飲み始めます。すでに酒が入っているらしい男性は、だんだんと実家に一人で暮らしている事情を語り始めます。
 この家で男性は、認知症を発していた父親の看護のために六年前に戻ってきました。以来、高円寺の自宅に寄っても夜には実家に来るという毎日です。この家に寝泊まりして、勤め先に通っているのです。
 男性がだんだんと語りだすのは、父親と二人っきりの六年間、そこで幼児期から長い間失われていた父親との関係を回復した日々のことでした。
 父親はJAXAで人工衛星を管理していた技術者だったのです。息子に言わせると「数学バカで、普通の家事とかまったく出来ない人」ということでした。父親は種子島のロケット基地に出張して半年帰らないことは普通だったといいます。若いころはそんな父親に反抗する気持しか持っていなかったと。
 母親はかなり前に亡くなっていて、ロケット事業から引退した父親にボケが始まってしまったのです。
「認知症というのはね、これは悲しいよ。子育てはだんだん子供が大きくなってくじゃない。でも、ボケというのは治らないで、悪くなっていくだけ。これは辛いよ」
「会社から帰ってくるじゃない。すると、家中ウンコだらけなんだよ。それでも、ボケていればいいんだけど、正気に返るときがあるからね。謝るわけさ、『ゴメン』て。『大丈夫、大丈夫』て言ってあげるんだけど」 
 男性の意外な発言が飛び出すのは、そのあと、「介護が楽しかった」という発言です。介護は相手が実の親でも気の抜けない辛いものだと経験者の誰もが語ります。ところが、この男性は楽しかった、と。だからこそ、その楽しい思い出の残る部屋部屋をそのままにしておきたかったというわけなのです。
「認知症ってさ、酔っ払いと相性がいいんだよ。父親とふたりでこうしてテレビのまえに座ってさ、テレビを見ながら、『この俳優は上手い』とか会話するわけ」
 男性は、涙を流しながら再度、「楽しかった」と述べます。そして、テレビが与えてくれた幸せを今度は、自分が与える立場になってみたいと考えるようになったと言います。エキストラへの募集に応募し落ちて、凹んでいたのはその理由からだったのです。
 私の父も単身赴任が多く、夕食の席で一緒に食べた情景はすぐには浮かんできません。その父が認知症になり、私が面倒を見ると仮定しましょう。果たしてこの男性のように喜びを与えられることがあったでしょうか? しばらく考え込んでしまい、今もその問いを自らに投げかけています。 

 さて、もう一人のエピソードで登場するのは若い女性です。場所は北海道の弟子屈(てしかが)。ログハウス風のロッジが奥深い無人の野の果てに建っています。周囲に人家はなく、もちろん商売している店もないようです。この家は女性が「タケちゃん」と呼ぶ祖父同様だったおじさんの家でした。
 女性とタケちゃんとは血のつながりがありません。それでも、タケちゃんと呼んで親しんでいたのは、二歳のときから最近まで何度となくこの土地に来て、一緒に遊んでいたからです。「一緒に遊んでくれた」というのが、キーワードです。単にタケちゃんの家にきて、滞在していただけではなく、川遊びから家の周囲の植生の調査から、この土地に来たらずっとタケちゃんが付き合ってくれたのだそうです。
 タケちゃんは、奥さんを数年まえに失ってから、急速に体調が衰えたといいます。撮影隊が向かったその年の初めごろに亡くなったといいますから、まだ一年が経っていません。タケちゃんが亡くなって、この家の相続人が売りに出そうとしているのを聞いて、女性は自分のお金で手に入れました。いつまでも、一生、この家に住むと決めたのです。
 祖父の代わりとはいえ、血のつながっていないオジさんをこれほどに愛してくれたのだというのは、オジさんが幼い女の子へ掛けた愛情のお返しだと考えると、「愛」の存在の大きさを感じて、胸に迫るものがありました。
 毎週は出会えないかもしれませんが、「人間て、ほんとに深いね」と感じられる番組です。