映画と音楽| ポテトサラダ通信(校條剛) | honya.jp

ポテトサラダ通信 41

映画と音楽

校條 剛

 私のように、会社勤めという軛から解放された(無職ではないですよ、著述業)立場でも、疫病下で自宅にずっと逼塞していると日々澱が沈殿し、溜まってきます。購入しただけで、本棚に突っ込まれたままになっている書籍を引っ張り出すのもいいのですが、気分転換にやはり買ったまま状態のDVDの一つ二つを取り出して映画を観るのもいいものです。

 いざ見始めると、一枚の小さなディスクに隠されていたコンテンツの豊かさに呆然とさせられます。こんなに身近に存在していたのに、その扉を開くまでは映画の登場人物たちが繰り広げる迫真のドラマに気が付いていなかったのです。
 もっとも、従来の趣味が変わってしまって、その世界に感動できなくなっていることに気付かされるコンテンツもあります。

 若い頃、不動のベスト1はフェデリコ・フェリーニ監督の「8 1/2」でした。今も賛嘆の気持ちは消えませんが、ベスト1ではなくなりました。人生の未来が丸められたロング・カーペットのように無限に伸ばしていける気がしていた若年のときと、絨毯の端が見え始めたときに反応するものとは違ってくることは実際にその年代になってみないと分からないことなのでしょう。「8 1/2」は、若者のための映画ではないでしょうが、うんと仕事をする時間が残されている人のための映画でしょう。70歳という年齢にあると、人生の先は自ずとすぼまってきて、仕事においても、私生活においても、意欲の減退は甚だしいものがあります。性愛のような動物的な欲望にはまだ反応しますが、恋愛映画には関心が薄くなりました。谷崎潤一郎が晩年『瘋癲老人日記』を著わした理由がよく理解できます。

 そこで、今現在、これまで二千本近くは観ているはずの洋画のなかからベスト10を選んでみようと思う。なんだ結構恋愛モノが多いじゃないかと突っ込まれそうですが、いずれも青春恋愛ではなく、中年以降の大人の恋愛であることを言い訳にさせてください。
 さて、そのタイトルを以下に並べてみましょう。どの作品が一位というわけではなく、順不同です。

かくも長き不在(アリダ・ヴァリ)
激しい季節(エレオノーラ・ロッシ=ドラゴ)
旅情(キャサリン・ヘップバーン)
シェーン(アラン・ラッド)
荒野の決闘(ヘンリー・フォンダ)
西部開拓史(デビー・レイノルズ)
たそがれの女心(ダニエル・ダリュウ)
会議は踊る(リリアン・ハーヴェイ)
アラビアのロレンス(ピーター・オトゥール)
81/2(マルチェロ・マストロヤンニ)
*カッコ内は主演俳優

 かなりマニアックな作品も入っているでしょうが、大方は大衆受けする分かりやすい内容のものが多いのは、やはり歳をとったからでしょう。

 最近になってやっと分かってきたことなのですが、映画を観ていたと同時に、音楽を聴きに行っていたのかと思えるほど、私は映画の音楽への執着が強いのです。上記のどの作品も音楽の存在感が目立っていることが、それを証明しています。

「かくも長き不在」では、コラ・ヴォケールが歌う「小さな三つの音符」に合わせてダンスするシーンが胸に刺さります。
「激しい季節」では、アメリカ曲「テンプテーション」よりもマリオ・ナシンベーネ作の主題曲が好きです。この映画でも主題曲に乗って、エレオノラ・ロッシ=ドラゴとジャン・ルイ・トランティニアンのダンスシーンが用意されていますが、ここでこの二人の気持ちが決定的に近づくのです。エレオノラの素敵さは、どんな言葉でもってしても表現不可能です。

「旅情」では、ヴェネツィア、イコール、この曲と言いたいほどサンマルコ広場やカナル・グランデを彷彿とさせる「サマータイム・イン・ヴェニス」。ヴェネツィアに二度目に訪れたときに、カフェ・フローリアンの楽団にリクエストしたのは、もう14年前になってしまいました。

「シェーン」の主題曲は、五十年以上昔のラジオ番組では絶えることなく聞こえてきたものです。オールタイム・ベスト曲。その当時は、映画音楽ばかりラジオから流れていた記憶があります。「エデンの東」「ムーンリバー」「誇り高き男」「アラモ」などアメリカ映画に伍して「禁じられた遊び」「刑事」「鉄道員」「道」「ブーベの恋人」などのフランス、イタリア映画のテーマも。

「荒野の決闘」は、「オー・マイダーリン・クレメンタイン」が原題。冒頭の男声合唱がぶっきらぼうな素朴さで、西部劇の味わい濃厚。
「西部開拓史」はシネラマ大画面の見世物映画で、内容はまさに「開拓史」なのでドラマは単純ですが、「シェナンドー」「ジョニーが凱旋するとき」など、アメリカのオールドソング(民謡)が不思議に懐かしさを誘います。デビー・レイノルズが歌う「牧場のわが家」のメロディーはイギリス民謡「グリーン・スリーブス」。

「たそがれの女心」は、邦題が愚劣すぎますが(原題は「某夫人」)、主題曲は哀切、ダンスシーンのワルツはいつまでも聴いていたいほど。音楽担当は、ジョルジュ・ヴァン・パリス。「フレンチ・カンカン」の主題曲「モンマルトルの丘」を作ったのはこの人です。

「会議は踊る」はオペレッタ映画。要するに音楽映画です。ヨーゼフ・シュトラウスの「天体の音楽」「わが人生は愛と喜び」、シューベルト「軍隊行進曲」への偏愛が全編を覆っています。もちろん、リリアン・ハーヴェイがか細い声で歌う主題歌「ただひとたびの」は一度どころか、何度も聴きたくなります。

「アラビアのロレンス」は、ただただモーリス・ジャールの音楽の偉大さに脱帽。日の出の瞬間、うねるように、流れ落ちるように広がる砂漠を表現したテーマ曲の雄大。砂漠が大好きになりました。デイヴィッド・リーン監督の次作「ドクトル・ジバゴ」も、ジャールの音楽だけで大満足でした。

 フェデリコ・フェリーニ監督の映画の魅力の半分は、座付き作曲家ニーノ・ロータの音楽にあることに気が付いたのは、ロータが亡くなってから。ロータ以後のフェリーニの映画はどれもこれも面白くないのでした。「8 1/2」を外せないのは、結局ニーノ・ロータの音楽を聴きたいからです。珍しく、この作品ではワーグナーの「ワルキューレ」や、ロッシーニを使ってもいて、音楽満載。
 
 映画音楽って、ほんとにいいものですね!(水野晴郎調で)