映画音楽の時代 | honya.jp

ポテトサラダ通信 9

映画音楽の時代

校條 剛

 先日、やっと京都の単身暮らしの部屋にミニコンポを運び込みました。駅前のビックカメラで17000円くらいで買ってきたのです。スピーカーと本体が一つになった一体型です。アマゾンの書き込みで読んでいたように、この程度の価格の品物で、一人暮らしの小さなスペースでは十分なようです。いい音を期待したい場合、選択のコツは、音響メーカーの製品にすることです。私のはパイオニアですが、ケンウッドとかオンキョウはいいとして、ソニーとかパナソニックを選ばないことです。
 テレビは入れていません。DVDが手元に大分溜まっているのですが、部屋にテレビがあると食事のときは必ずつけることになるでしょうし、その延長で四六時中つけっぱなしという状態になることを懼<おそ>れて、あえて購入しないでおきます。スティーヴン・キングもテレビは読書の敵ということをはっきり書いています。NHKの集金人の方は、私のところに来ても無駄ですよ。

 さて、今日は京都とはまったく関係のないお話。
 あのころのラジオは映画音楽だらけでした。ミュージックなんとかベストテンというような番組ではいつも上位を映画音楽が占めていたのではないでしょうか。
 年代は無視して(もう分からないから)覚えているタイトルを並べてみましょう。

「鉄道員」「禁じられた遊び」「汚れなき悪戯」「シャレード」「ティファニーで朝食を」「栄光への脱出」「大脱走」「エデンの東」「旅情」「誇り高き男」「ブーベの恋人」「ヘッドライト」「慕情」「道」「刑事(アモーレ・ミオ)」「太陽がいっぱい」「誘惑されて捨てられて」「太陽の下の18歳」「避暑地の出来事」「シェーン」「太陽はひとりぼっち」「禁じられた恋の島」「大いなる西部」「ベン・ハー」「ジャイアンツ」「アラバマ物語」「北京の55日」「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」。

 これらの曲が私の血脈に沁みわたっていることは、たとえば1990年ヴェネツィアに初めて訪れたときに、サンマルコ広場のカフェ・フローリアンの楽団が「旅情」のテーマ「サマータイム・イン・ヴェニス」を何度も繰り返し演奏してくれたときに、なんとも言えない幸福感に浸ったことで分かりました。
 あの時代はまだ映画の音楽が生きていたんですね。2007年にヴェネツィアを再訪したときには、フローリアンの楽団はもうそのテーマを演奏してはいませんでした。私がリクエストすれば済むことでしたが、必ず誰かがリクエストするだろうと呑気に構えていたのが失敗でした。二度目のヴェネツィアは、ですから、本当にそこに行ったわけではないというのが、今の私の気持です。

 私はサントラというのをほとんど買ったことはないのですが、CDで唯一持っているのは「ある日どこかで」。あのスーパーマン俳優で悲劇的な死に方をしたクリストファー・リーブの主演作です。音楽はジョン・バリー。原作でラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」が登場しているようで、そのため映画のなかでも効果的に使われていますが、私が好きなのはジョン・バリーの作曲したテーマ曲。ヒロインの肖像に主人公が引きつけられて近づいていくシーンと相まってうっとりさせるようなきれいな曲なのです。
 
 そういえば、1954年のフランス映画「赤と黒」で、レナール夫人役のダニエル・ダリューがジュリアン・ソレルの部屋のまえまで静かに往復するシーンで流れるルネ・クロエレックのメロディーもワーグナーの「無限旋律」を思わせるストリングスが素晴らしいです。余談ですが、テレビで観て、このシーンが脳髄に焼きこまれたのは高校生のときでしょうか。数年後、劇場でリヴァイバル上映するというので、心ときめかして、確か日比谷のスカラ座に駆けつけました。しかし、肝心のそのシーンは、バッサリと切られていました。輸入元の東和映画に抗議の電話をしたところ、「こちらでやったのではなくて、向こう(フランス側)の処理」と言い訳していましたが、前後編合わせると結構な上映時間になってしまうために、機械的に鋏をそのシーンに入れたのでしょう。
業者の気持ちは分かります。理解はしませんが、ほかに切りようがなかったことは想像ができます。しかし、芸術の根幹に触れる問題がそこには横たわっています。読み物でもそうですが、「あらすじ」だけの映画ほどつまらないものはありません。無駄なシーンがあるからこそ、描写のリアリズムは生きてくるのです。DVDで「赤と黒」を見られる今の人たちは幸せです。劇場で切られていたシーンはしっかりと残されていますから。

常々、ニーノ・ロータ亡きあとのフェリーニ映画は面白くないと公言しているのですが、その理由が数年前に判明しました。私が観ていたのはフェリーニの映画ではなく、ロータの音楽なのだということだったんですね。フェリーニの「カサノバ」は、もうロータが亡くなってからの作品だったと思いますが、この映画だけは悪くありません。でも、ラストの長いシーンはいただけませんでしたね。ラストがくどいのがフェリーニ映画の悪い点ですが、せめてロータの音楽が鳴っていたら、この苦痛にも耐えられたかもしれません。

やはり、今日は脱線ばかりしていますね。今回のテーマは、「なぜあのころは映画音楽ばかりが幅を利かしていたんだろう」ということでした。このテーマはまた今度ゆっくりと考えることにして、今宵は脱線のままお開きにしてしまいます。済みません。