閉門即是深山 553
正月早々縁起でもねぇ話
暮れも暮れ、12月28日の15時ころだったと思う。
ふっとスマホの電話受信欄を開けて見た。そこには、もう私の唯一の親戚から電話があった記が残っている。少し気になったが、開いた所が賑やかな場所だったので返信せずにいた。
次に彼女からかかって来たのは、19時半くらいだったろう!
「旦那、死んじゃった!」
の一言だった。今からそちらに行こうか?と言おうと思ったが、車を挙げてしまった以上、昔のように腰は軽くない。重い!年末28日ともなれば、斎場だってとれるはずもない。行って真夜中に何万円かのタクシー代を払って帰宅するのも面倒である。しかし、唯一の親戚!
「今から行こうか?」6,7歳上の従姉に訊いてみた。「で、病名は何?」
夏前だったか、そろそろ亭主もボケてきて日常のことが出来なくなったから施設を探さなければ私も歳だからやっていけない。彼女の家の傍で彼女の愚痴を聴いて、一緒に施設探しを始めることにした。10月中旬だったかに「区で施設を紹介してくれたよ、あったよ!」「よかったね!」とスマホで連絡をし合い、11月に彼女の旦那は、施設に入った。そこでかかったのが質の悪いインフルエンザだった。施設から大きな病院に移されたが、家族の面会も許されなかったらしい。12月28日、その病院から電話があったらしい!様態が悪くなったという知らせだ。その後、彼女は私に電話をしたのだと思う。しかし、面会が謝絶されていて、病院に行っても会えない!夜7時過ぎに亡くなった知らせが入ったのだ。
彼女の旦那は、不思議な人物だった。私の勤めた出版社にいたが影が薄かった。皆は、多少の軽蔑を含めブーという渾名を付けて呼んでいた。家族の何かの会があっても出席はするが、影が無かった。話に訊くと、彼は満州で生まれ、育ったそうな。そして戦争で満州から逃げ日本に向かったという。父は、露兵に捕まりシベリアに抑留された。母は、子供たちの手を引き逃げようとしたが、露兵に捕まった。夫を失った女、彼ら子供たちはみな体育館のようなところに入れられ母、すなわち“夫を失った女”は、みな露兵の慰み者となってしまったらしい。こんな話が旦那の身にあったとは、知らなかった。それ以来、彼は人間不信になったらしい。こんな話いくらでもあるよ、戦争中だもの!果してそうだろうか?日本人も、戦時中かの国の女性を侮蔑したのだろうか?頼む、していなかったと言って欲しい。長い間、私はあのブーちゃんを好きにはなれずにいた。コミュニケーションを取ることさえ出来ずにいた。
「夏坊、今センちゃんと話している。正月だから4日以降になるようだよ、家族葬にしようと思うんだ!もう親戚もほとんどいないしね」。棺の中の旦那の顔は、妙に明るかった!幸せそうだった!