閉門即是深山 549
菊池寛の『我が競馬哲学』その3
競馬をやる方、競馬に興味ある方、100年近く前に書かれた競馬哲学はいかがでしょう!当時は、こぞって読まれた本です。今でも通用する部分があるのではないかと思い、しつこくも祖父の文章をここに写しております。もう、読みたくても買えない本ですから。祖父菊池寛は、競馬を世に知らしめたと言われています。では、続きをどうぞ!
一、一日に、一鞍か二鞍堅い所を取り、他は悉く休む人あり、小乗なれども亦一つの悟道たるを失わず、大損をせざる唯一の方法である。
一、損を恐れ、本命々々と買う人あり、しかし損がそれ程恐しいなら、馬券などやらざるに如かず。
一、一日に四、五十円の損になりても、よき鑑定をなし、百四、五十円の中穴を一つ当てたる快味あれば、償うべし。
一、百二、三十円の穴にても、手柄の上では二百円に当るものあり、二百円の配当にても、手柄の上ではくだらぬものあり、新馬の二百円をまぐれ当りに取りたるなど、ただ金を拾ったのと、あまり違わない。
一、よき鑑定の結果たる配当は、額の多少に拘わらず、その得意は大なり。まぐれ当りの配当は、たとい二百円なりとも、投機的にして、正道なる馬券ファンの手柄にすべきものにあらず。
一、人にきいて取りたる二百円は、自分の鑑定に取りたる五十円にも劣るべし(と云うように考えて貰いたいものである。)
一、サラブレッドとは、如何なるものかも知らずに馬券をやる人あり、悲しむべし、馬の血統、記録などを、ちっとも研究せずに、馬券をやるのはばくち打ちである。
一、同期開催済の各競馬の成績を丹念に調べよ。そのお蔭で大穴を一つ二つは取れるものである。
一、必ず着に来るべき剛強馬二、三頭あるとき、決してブラッセの穴を狙うなかれ、たとい敵中するとも配当甚だ少し。
一、ブラッセの配当の多寡は、多くは他の人気馬の入線如何による。その点に於て、より偶然的である。むしろ単勝の大穴を狙うに如かず。
一、厩舎よりの情報は、船頭の天気予報の如し。関係せる馬についての予報は精しけれども、全体の予報について甚だ到らざるものあり、取捨選択に、自己の鑑定を働かすに非ざれば、厩舎の情報など聞かざるに如かず。
次回に続く
※菊池寛著『我が馬券哲学』(菊池寛・菊池夏樹共著『菊池寛のあそび心』)より