菊池寛の『我が競馬哲学』その2 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 548

菊池寛の『我が競馬哲学』その2

祖父は、麻雀や競馬の面白さを一般人に広めたと聞く。本人もその著書に『日本競馬讀本』がある。現在でもネットオークションで、その本の値が八万円も付いたと聞いた。私のブログ「閉門即是深山」の547号から引き続き書こうと思う。

一、穴場の入口の開くや否や、傍目もふらず本命へ殺到する群衆あり、本命主義の邪道である。他の馬が売れないのに配当金いずれにありやと訊いて見たくなる。甲馬乙馬に幾何の投票あるゆえ丙馬を買って、これを獲得せんとするこそ、馬券買の本意ならずや。
一、二十四、五円以下の配当の馬を買うほどならば、見ているに如かず、何となれば、世に絶対の本命なるものなければ也。
一、然れども、実力なき馬の穴となりしこと曾てなし。
一、甲馬乙馬実力比敵し、しかも甲馬は人気九十点乙馬は人気六十点ならば、絶対に乙を買うべし。
一、実力に人気相当する場合、実力よりも人気の上走しる場合、実力よりも人気の下走しる場合、最後の場合は絶対に買うべきである。
一、その場の人気の沸騰に囚われず、頭を冷徹に保ち、ひそかに馬の実力を考うべし。その場の人気ほど浮薄なるものなし。
一、「何々がよい」と、一人これを云えば十人これを口にする。ほんとうは、一人の人気である。しかも、それが十となり百となっている。これ競馬場の人気である。
一、「何々は脚がわるい」と云われし馬の、断然勝ちしことあり、またなるほど脚がわるかったなとうなずかせる場合あり、情報信ずべし、しかも亦信ずべからず。
一、甲馬乙馬人気比敵し、しかも実力比敵し、いずれが勝つか分らず減んない、かかる場合は却って第三人気の大穴を狙うにしかず。
一、大穴は、おあつらえ通りには、開かないものである。天の一方に、突如として開き、ファンをあっけに取らせるものである。何々が、穴になるだろうと、多くのファンが考えている間は、絶対にならないようなものである。それは、もう穴人気と云って、人気の一種である。
一、剣を取りて立ちしが如く、常に頭を自由に保ち固定観念に囚わるること勿れ、偏愛の馬を作ること勿れ、レコードに囚わるること勿れ、融通無碍しかも確固たる信念を失うこと勿れ、馬券の奥堂に参ずるは、なお剣、棋の秘奥を修めんとするが如く至難である。

まだまだ次号に続きます!