閉門即是深山 539
菊池寛競馬に関してと名言(前号より続く)
一、人にきいて取りたる二百円は、自分の鑑定に取りたる五十円にも劣るべし(と云うように考えて貰いたいものである。)
一、サラブレッドとは、如何なるものかも知らずに馬券をやる人あり、悲しむべし。馬の血統、記録などを、ちっとも研究せずに、馬券をやるのはばくち打ちである。
一、同期開催済の各競馬の成績を丹念に調べよ。そのお蔭で大穴を一つ二つは取れるものである。
一、必ず着に来るべき剛強馬二、三頭あるとき、決してブラッセの穴を狙うなかれ、たとい敵中するとも配当甚だ少なし。
一、ブラッセの配当の多寡は、多くは他の人気馬の入線如何による。その点に於て、より偶然的である。むしろ単勝の大穴を狙うに如かず。
一、厩舎よりの情報は、船頭の天気予報の如し、関係せる馬についての予報は精しけれども、全体の予報について甚だ到らざるものあり。厩舎に依りて、強がりあり弱気あり、身びいきあり、謙遜あり、取捨選択に、自己の鑑定を働かすに非ざれば、厩舎の情報など聞かざるに如かず。
一、自己の研究を基礎とし人の言を聴かず、独力を以て勝馬を鑑定し、迷わずこれを買い自信を以てレースを見る。追込線に入りて断然他馬を圧倒し、鼻頭を以て、一着す。人生の快味何物かこれに如かんや。而もまた逆に鼻頭を以て破るるとも馬券買いとして「業在り」なり、満足その裡にあり。ただ人気に追随し、漫然本命を買うが如き、勝負に拘わらず、競馬の妙味を知るものに非ず。
一、馬券買に於て勝つこと甚だかたし。ただ自己の無理をせざる犠牲に於て馬券を娯しむこと、これ競馬ファンの正道ならん。競馬ファンの建てたる蔵のなさばかりか(二、三年つづけて競馬場に出入りする人は、よっぽど資力のある人なり)と云わる、勝たん勝たんとして、無理なる金を賭するが如き、慎しみてもなお慎しむべし。馬券買いは道楽也。散財也、真に金を儲けんとせば正道の家業を励むに如かず。
※祖父・菊池寛の著書に『日本競馬讀本』がある。彼の“あそび心”である。今、誰しもが競馬で遊べるようになったのも彼が貴族社会だけでなく一般の人やちに『文藝春秋』を通じて世に広めたからであった。彼は、生涯で50頭以上の競馬馬を持った。自分の作品『時の氏神』から取った名前も多い。幻の名馬と言われ、今でも目黒の昔の競馬場跡JRAに一頭の馬の銅像がある。トキノミノルである。トキノミノルは、永田雅一の持ち馬だが、菊池寛の急死の日に生まれたので、その名をつけた。馬の逸話は沢山あるが、菊池寛の名言集を続ける。