祖父と私がコラボした文庫『菊池寛のあそび心』 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 536

祖父と私がコラボした文庫『菊池寛のあそび心』

祖父菊池寛と孫と時を超えて一冊本を出したことがあります。もう15年前になりますが、ぶんか社文庫に書き下ろした一冊です。今になって読み返してみると我ながら面白い。本もなくなりネットで古本を探してみましたら、びっくりするような値がついていました。このブログの字数の決まりがありますから、短い章を選んでここに書いてみます。たぶん二、三週にまたがります。ご勘弁を!

「私の日常道徳」  菊池寛 著
一、私は自分より富んでいる人からは、何でも欣んで貰うことにしてある。何の遠慮もなしに、御馳走にもなる。総じて私は人から物を呉れるとき遠慮はしない。お互に、人に物をやったり快く貰ったりすることは人生を明るくするからだ。貰うものは快く貰い、やる物は快くやりたい。

一、他人に御馳走になるときは出来るだけ沢山喰べる。そんなとき、まずいものをおいしいと言う必要はないが、おいしいものは明らかに口に出してそう言う。

一、人から無心を言われるとき、私はそれに応ずるか応じないかは、その人と自分との親疎によって定める。向うがどんなに困っていても、一面識の人なれば断る。

一、私は生活費以外の金は誰にも貸さないことにしてある。生活費なら貸す。だが友人知己それぞれ心の裡に金額を定めていて、この人のためにはこのくらい出しても惜しくないと思う金額だけしか貸さない。貸した以上、払って貰うことを考えたことはない。また払ってくれた人もない。

一、貴君のことを誰が、こうこう言ったといって告げ口する場合、私は大抵聞き流す。人は、陰では誰の悪口でも言うし、悪口を言いながら、心では尊敬している場合もあり、その人の言った悪口だけがこちらへ伝えられてそれと同時に言った誉め言葉の伝えられない場合だって、非常に多いのだから。

一、私は遠慮しない。自分自身の価値は相当に主張し、またそれに対する他人からの待遇をも要求する。私は誰と自動車に乗っても、クッションが開いているのに、補助座席の方へは腰をかけない。

一、自分の悪評、悪い噂などを親切に伝えて呉れるのも閉口だ。自分が、それを知ったため、応急手当の出来る場合はともかく、それ以外は知らぬが仏でいたい。

一、私は往来で帯をとけて歩いている場合などよくある。そんなとき注意をしてくれると、いつもイヤな気がする。帯がとけているということは、自分で気がつかなければ平気だ。人から指摘されるということがいやなのだ。そんなことは、人から指摘されなくても、やがては気がつくことだ。