閉門即是深山 524
落語と講談
昨年だったと思う!落語家の名人上手である春風亭小朝師匠が、それまで落語にして下さった祖父・菊池寛の作品の落語化をした九作品を文藝春秋から『菊池寛が落語になる日』と題して出版してくださった。祖父の創った出版社の百周年記念として出版されたのだから、草葉の陰だか千の風になってか知らないけれど喜んでいたに違いない。
祖父は、59歳で身罷った。彼の本格的作家デビューは、大学四つをそれぞれ逸話無しには語れない理由で中退し、最後に京都帝大を卒業する時には、20歳代後半だったためにはかなり遅かった。東京帝大予科一高のクラスメート芥川龍之介や久米正雄が学生時代にデビューしたのを年上だった彼が横目で見ながら、自分の不運を嘆き、焦っている姿を私はよく想像する。29歳で結婚、30歳で長女が生まれたのをきっかけに精力的に作品に取り組んだのだ。作家生活は、たった30年。その間に書いた作品は、戯曲が60作品以上、長編小説91作品以上、イソップ、グリム、アンデルセンなどの子供向け翻訳本や自分で児童用に書いた作品、数百作品、日本の武将譚や日本名婦傳、実録史譚、随筆、対談など入れると孫でも数えたくなくなる。
小朝師匠の『菊池寛が落語になる日』には、祖父の作品で国定忠治赤城の山の場『入れ札』や『妻は皆知れり』『うばすて山』『病人と健康者』、夫婦喧嘩で家を出ようとした妻のところに親戚の娘が夫と喧嘩をして転がり込む『時の氏神』『好色成道』『竜』『葬式に行かぬ訳』『マスク』が収録してある。もっと落語になっていたはずだ!
昨年の秋、毎年(コロナ年以外)有名な作家や菊池寛に因む話題を持った方々に讃岐高松に行って頂いて、県民向けに講演をして頂いていて、人間国宝の講談師神田松鯉先生に行って頂いた。松鯉さんとはペンクラブを通じて知り合った。満席のお客様に講談とは如何なるモノか、を教えてくださり、その後に講談『恩讐の彼方に』をあの名調子で語ってくださった!
後のアンケートを読むと「初めて接したが、講談がこんなにも面白いものだと知らなかった!」とか『講談の楽しみ方を教えて頂きながら、講談を聴くと面白さが倍増した』とか、私が、胸を撫でおろすコメントばかりだった。
私が、人間国宝神田松鯉先生に香川まで行って頂いたのには、訳があった。松鯉さんがお弟子筋に講談を教える時に使う教本に祖父の作品『恩讐の彼方に』が入っていたからだった。5月29日に松鯉さんと兄弟弟子である神田愛山先生の講談が録音されたCDがソニーミュージックから発売される。菊池寛作『敵討母子連れ』を講談にした作品で、面白い作品のひとつだ。CDの中に入る小冊子に、私は「神田愛山先生の講談によせて」を寄稿している。神田松鯉先生も神田愛山先生も寵児神田伯山の師匠である。愛山先生は『平将門』『入れ札』『藤十郎の戀』もやりたいと仰ってくれている。私の最後の仕事は、祖父の作品を読んだり聴いたりして頂くこと!口伝、私の仕事の終焉まじかだ