進駐軍の残した善 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 512

進駐軍の残した善

進駐軍などは私の歳、または、先輩達しか覚えていないだろう!
アメリカを中心とした連合軍が、敗戦後日本に駐留した兵士達のことだ。総マトメにして悪者扱いにされた彼らも、日本に新しい文化を残してくれた。一番に分かり安いのが、音楽だった。

なぜ、今頃こんな話をするかと言えば、私が赤坂のオフィスに来る時に立ち寄る喫茶店で最近4、50年代によく聴いた曲が流れているからだ。テレビも無い時代、ナショナルのマークの入ったラジオが唯一の楽しみだった。学校から帰るとラジオの音量ダイヤルを回し、電源をいれた。そして、もうひとつあるボリュームダイヤルを回し、好みの放送局を探す。NHK第一、第二は、その頃からあった。後の日本ラジオ放送局の名前はあやふやで覚えているのか否か怪しい!ラジオ東京やTBSラジオは、あったのだろうか?

進駐軍向けの放送局は、確かにあった。英語のおしゃべりの間にJAZZが流れてくる。ペギー・リーやブレンダ・リーの歌声は、そのころ日本に無かった歌声であった。日本では、江利チエミや雪村いずみやペギー・葉山たちが真似をして歌っていた時代だ。本当か嘘かは判らないが、彼女たちは進駐軍の兵士のために治外法権である兵舎の舞台に立ち、Jazzを学んでいたと聞く。

ペギー・リーは、1940~1960年代にかけてジャズやカントリーなどのジャンルで有名だった。1920年生まれの彼女は、20才からプロ歌手だった。「ジャニー・ギター」や「サニー・サイド」「Crazy In The Heart」「Love Letters」「On The Sunny Side」などは、遠い祖国を後にした米兵たちの心に染み入ったに違いない。ブレンダ・リーは、ショートカットした髪に白いカチューシャのレコード・ジャケットを思い出すくらいに可愛らしい女性で「アイム・ソーリー」「ホワイト・クリスマス」「ジャンバラヤ」などを、よく聴いた。

男性歌手は、フランク・シナトラだろう!Jazz定番の「Fly Me To The Moon」などは、エヴァンゲリオンのテーマソングにも使われている。「Blue Moon」もそうだし、「it Had To Be You」や「Every Loves Somebody」「All Of Me」もジャズの代表作品のひとつになった。

ラジオは、まだステレオなんかではない。レコードだって、鉄の針を替えながら聴いていた時代だ。ラジオの雑音も酷くピー!とかジャー!で邪魔をされた。三人娘の曲も流行った。The Three DegreesやThe Puppini Sisters、The Andrews Sistersの美しいハモに聴き惚れた。

東京の街では、後ろに長いアンテナを立てたオオド色のジープに、ガムを噛みながら白にMPと書かれたヘルメットを被った兵士が片足をステップにかけた姿は、絵になっていた。ロータリーの多かった日本は、戦後十文字の交差点にした。箱にのって手信号をするMPの脇で小さな日本の警察官が習っていた。日本国憲法だって「あんたたちがなおしたんだヨ!」と堂々と言えるお土産まで創ってくれた。サンキュー!