加齢の恐怖 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 483

加齢の恐怖

昔『未知との遭遇』という映画がありました。また、小さくなって人体の中に入る1966年公開のアメリカ映画『ミクロの決死圏』も覚えています。ちょうど私が20歳ごろ公開された映画で、SFでもとてもリアルだったので覚えているのでしょう!

私がちょうど60歳半ばを過ぎたころ「これから何をして楽しい余生を送ろうか」との思いが、頭いっぱいに襲ってきました。仕事が一段落して、少し余裕ができたのでしょうね。ただ、全部が趣味や遊びだと楽しさは半減されるものです。それに、もう余生のことを考えると、あれもこれもという時間も残されていません。何か悔いのないことを選ばなければいけません。よく「悔いの残る人生」「悔いの残らない人生」と言われますが、若い時のことではなくて、ちょうど仕事と趣味の間、60代で何をするかだと思うようになりました。

在社していたころは、どんな立場でも無我夢中、お金がかかっている時などは、どう稼げばいいかの一点でした。お金を稼ぐ力が、お金の価値だと勘違いしていたからでしょう!お金を沢山稼ぐことに、お金の価値を見出そうとしても無理だと60半ばになるとわかってくるのですね。お金は、何に使ったかで価値がある、とわかるまでには至らなかったのです。

私の社の同期に、退職したら今まで培っていたコントラバス=ベース奏者として楽しもうと私に言っていた奴がいました。私は「そんな素晴らしい思いを持てるヤツは、幸せだね!」と答えました。彼は、あのヴァイオリンを人の大きさのようにしたコントラバスでクラシックを学生時代にしていて、退職後専念したかったのだと思います。

彼は、同じ本創りでも、私のようなエンターテインメントすなわち大衆文学思考ではなく、純文学を得意とした編集者でした。簡単に説明すると、私が直木賞思考であり、彼が芥川賞思考だったのです。
ふたりが共に在職した40年強の間に数回、彼と一緒に演奏したことがあります。全てがエンターテインメントの曲でした。若い連中が、社中の忘年会などの余興として、即席バンドを作りビートルズなどの曲をやる。

素人がバンドを組もうとしたときに一番困るのが、ベースとドラムの人間を探すことです。ピアノやキーボードを弾ける人は結構いますし、ギターの出来る人は多いのです。社には、トランペットだったかサックスだったか、演奏できる先輩がいました。お呼びがかかると私は「ベースは誰?」と訊きます。彼は「ドラムは誰?」と訊いてくれたそうだす。
社内の小冊子に“退職にあたって”という特集が年に一度出されます。それを読むと「これからは、念願のコントラバスと共に暮らせる喜び」を彼は切々と語っています。本当に彼は、この日を待っていたのです。

知らない駅でした!踏切の手前に小さな喫茶店がありました。私は、どこに行くにも時間前に着くように家を出ます!ほろ苦い珈琲の味がしました。時計は、集まる時間の30分前を指しています。もう私が座って1時間近く経っていました。店の扉が開き。何人かの同期生が入ってきました。「やっぱり居た!」中の誰かが言っています。「いや、もう出ようと思ってな」「まだ、充分時間があるよ!僕らが飲み終わってから一緒に行こう」
コントラバスの友人の葬式会場が、踏切の向こうに見えました!