楽器の難しさ | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 466

楽器の難しさ

どんな楽器もそうだと思う!やりはじめれば、それの難しさが解るのだ!
楽器ばかりではない!芸術といわれるものが、自己表現といわれるものは、すべて難しいのだろう。絵画でいえば、ピカソもシャガールもみんな基礎であるデッサンをしっかりと身につけている。そうでなければ、千葉にある「市原ぞうの国」の象が長い鼻を使い、その長い鼻で筆を持ち描く絵と価値は同じになってしまう。

ほとんどの人は、文章くらい書ける。しかし、ひとを楽しませたり、感動させたりするのは、とても難しい!作家が、どのくらい本を読み、どのくらい自己手習いをしているかで決まる。もちろん感性も必要になってくる。誰でも絵を描くことは出来ても、しっかり基礎を学んだか否かは自然と伝わるもので、自己表現にはたどり着けない!
もし何の基礎努力もせずに人を感動させられる事が出来る人がいれば、ひとは天才と呼ぶ!

私の祖父は、大正から昭和にかけて大御所と呼ばれた作家だった。四国讃岐の高松で生まれた彼の周りには、図書館がなかった。彼の家は、明治維新の前までは、すなわち江戸時代までは、裕福な家だったらしい。明治維新は、天と地をひっくり返した。あるいっ時で彼の家は、貧乏士族になった。彼は、学校の教科書も買ってもらえなかった。修学旅行に行く友たちを羨んだ時もあった。

明治38年、彼が中学3年の時に彼の家と学校の途中に香川県教育会図書館が開館した。彼が16歳の時であった。旧制中学の時代であったから、中学は5年制である。彼は、卒業するまでの2年間で図書館の蔵書1万8千冊を、すべてを読み尽くしたという。彼の大学時代のクラスメートに芥川龍之介や久米正雄、佐野文雄がいた。彼は、晩年そのころを思い出しながら家族に「芥川は天才、ボクは秀才」と言っていたと聞く。

そう、天才でなければ秀才になれねばならない!天才は、そのひとに神が降りて来る。秀才には、神がいないのだから自分で努力をしなければならない。相撲や柔道の世界に「心技体」という言葉がある。精神力、技術、体力の3つを養い揃うことであろうが、相撲のトップが大関だということを知るひとは少ない。神が降りた相撲取りだけが、横綱を巻けるのだ!

さて、私は仕事に関して見向きもされない歳になった。長い年月を振り返ってみたら、何に対してもそれほど努力をしてこなかった。恥ずかしいといえば、とても恥ずかしいのだが、70歳が見えてきた時に、それに気がついた!死ぬまでに「これに関しては、自分は頑張ったな!」と言えるものを見つけなきゃと焦った!そして、若いころに好い加減に敲いていたドラムを0から始めることにした。
それから10年、先生に習いながら、コツコツと階段を登っている。祖父の故郷讃岐には、金毘羅さんに上る長い階段がある。しかし、その階段にも上りきる場所がある。楽器を演奏するには、コツコツと階段を上らねばならないが、奥が深くて上りきる場所が見えない!たぶん、どんなに有名になったアーティスト達も死ぬまで辿り着けない深さなのかも知れない!