閉門即是深山 463
運動不足、呆け予防は楽しみから
昨年10月に待ちに待ったドラムレッスンを再開することが出来た。
もちろん、コロナ禍でも自己練習を週に2回、3時間ずつ続けてきたが、それまでに先生から教えてもらったドラム技術の基本をなんべんも繰り返し、暗譜が出来るようにして、曲に載せて早く叩ける練習をするしか方法が無かった。
実は、コロナ前に教えてもらった技術は、山のようにあった。しかし、先生の前で前回教えてもらった技を5回連続して正確に叩けなければ前に進めない。上手く出来ても、試験をした後の時間は残り僅か10分くらいだから、新しい技術を教えてもらう時間は、次にこれをやりますよ!と、先生がドラムを敲き、見様見真似でやってみてもまったくわからない状態で、譜面を頂く。この繰り返しで7年が過ぎた。
溜まった技術を自己練習するために1年休むことにした。1年経ったらかならず来ますからと言い伝えて、1年後の予約まで取ったのだがコロナの時代になってしまった。その後、まったく先生から連絡がこない。ときどきこちらから「まだですか?」と連絡をしてみるのだが、これという返事がなかった。言葉が曖昧なのだ。変だなと私は思っていた。もう基礎練習も終わり、ある程度ジャズの基本も終わり、ソロだけが残っていた。これが終われば、素人としてのドラムの練習は一応終わりになる。
コロナ前、1年休みを決めた時は、私は70歳半ば前だった。計画では、67歳からZEROからスタートして76歳で素人的な全てをマスターして、2年くらい一生懸命繰り返し自己練習に励めば、78歳くらいでイッパシの素人ミュージシャンになれると考えていた。バンドも組んでいたし、ライブもしていたが、どこか心もとない!ドラムをやることで、老人の運動不足の解消と呆け防止にもなるし、学生時代に世にドラムの先生など居なかった時代に組んでいたバンド仲間との楽しい生活を老いても出来るようにしたかった。
若いころは、5人でグループを組んでいた。しかし、すぐに若くしてひとりが天国に逝った。代わりにひとりが入った。彼も60代半ばにしてこの世から去った。ひとりは、脳溢血の後遺症で鍵盤が叩けないでいる。ひとりは、音沙汰も判らず連絡のつけようもない。結局、あのころの仲間は、私を入れてふたりになった。他の女性だけのグループも同じようなもので、このふたつのバンドを合体したのが、今のバンドだ。
ちょうどコロナ禍2年半を待って先生から再び教えを乞えることになったのが、昨年の秋だった。自分で企てた計画とは大分変った。教わって、終わって、自己練習をして、それを使えるだろう年齢は、81、2歳になってしまった。たぶん、先生はコロナ禍で私のような70歳半ばの生徒は持ちたくなかったのだろう。
さて、自分の想いと予定を先生に伝えてレッスンが始まった!急に難しくなった!2年半のブランクが私の老いを速めたのか、81、2歳までのスケジュールに間に合わすべく先生が教えの計画を難しくしたのかわからないが、難しい!考えてみると、私が今所属させてもらっているバンドは、不明確だが平均年齢が73歳くらいだろうか。後、私が習った技が完成するには、速くても5年はかかりそうだ!ということは、80歳のバンド!皆揃って和音を楽しめるだろうか?怪しい!