閉門即是深山 454
祖父・菊池寛の小説「吉良上野介の立場」
浅野内匠頭は、玄関を上がると家来に、二人の江戸家老安井彦右衛門と藤井又右衛門に「すぐ来るようにといえ」といって、小書院へはいってしまった。(そらっ!また、いつもの癇癪だ)と、家来たちは目を見合わせた。二人の江戸家老が内匠頭の許に馳せ参じた。内匠頭は、二人に向かって「例の京都から勅使が下られるが、また接待役だ。公儀から今度御下向の勅使の御馳走役を命ぜられたが、それについて二人に相談がある」この江戸家老の二人は、浅野家が小大名として、代々節倹している家風を知っていたし、浅野内匠頭の勘定高い性質も十分知っていた。
「この前──天知三年か、勤めたときには、いくら入費がかかったか?」殿の浅野内匠頭は、二人の江戸家老に聞いた。これが元禄15年12月14日、西暦1703年1月30日、赤穂浪士四十七士の吉良上野介討ち入り、首級を挙げたあの忠臣蔵の序章であった。浅野家は、五万三千石の石高と塩田五千石があった。小大名としては、五本の指に入る程に裕福な藩である。
私の祖父は、国家老大石内蔵助率いる赤穂浪士の物語を吉良上野介の立場から小説にしたのだ。
浅野内匠頭は、今風に言えばケチであった。一方、吉良上野介は、高家で大名並みの家柄とはいっても、旗本であり四千石程度の石高で、供応指南役の謝礼(馬代等)が貴重な収入源であった。
天和三年のお勤め費用が四百両と聞いた内匠頭は「四百両か!その時分と今とは物価が違っているからな。伊東出雲にきくと、元禄十年、十年前のあいつの時は、千二百両かかったそうだ」と言う。「あのとき、千二百両だといたしますと、今日ではどんなに切りつめても、千両はかかりましょうな」と江戸家老が口を揃えると、内匠頭は「七百両ぐらいでどうにか上げようと思う」と言う。「な、七百両!」二人の江戸家老は、首を傾けた。今度の役にしても、肝煎りの吉良に例の付届をせずばなるまいが、その付届は、馬代一枚ずつと決まっていた。内匠頭は「それだけでも、要らんことじゃないか。吉良は肝煎りするのが役目だ、吉良から付届を貰いたいくらいだ」と言う。内匠頭が出した見積書を見た吉良上野介は見直しを求めたが、内匠頭は、慣例を無視、吉良の教えを聞こうともしない!
ところが、勅使の接待方の予定が少し変わったと聞いた内匠頭は、厚かましくも吉良に相談をかけた。
この菊池寛の作品『吉良上野介の立場』が、春風亭小朝師匠によって落語になった。落語の題目は『殿中でござる』で、初めて歌舞伎とコラボすることになった、歌舞伎の方は、八代目中村芝翫、中村歌六の「仮名手本忠臣蔵」五段目・山崎街道鉄砲渡しの場、同、二つ玉の場と、六段目・与市兵衛内勘平腹切の場である。
この「歌舞伎&落語のコラボ忠臣蔵」は、11月2日水曜日から11月25日金曜日まで12時開演で東京・半蔵門の国立劇場で始まっています!お知らせです!
■令和4年11月歌舞伎公演「歌舞伎&落語 コラボ忠臣蔵」(国立劇場)【こちら】