太り肉 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 453

太り肉

痩せてはいないものの、何年か前までは私はこんなに腹が出ていなかった。医学の博士が何名かでつくるNPOのお仕事を手伝いさせて頂くようになってから、カロリーを運動でバランス良く代謝すれば体内に余計な脂肪が付かないこともわかってきた。
少なくとも、この何年間で日本人はカロリー計算などしてバランス良く食事を摂るようになってきたようだ。人に依っては違うようだが、私のような原始的遺物人「食事が常に得られるとは限らない、食事が摂れない時の為に常に多くの脂肪を蓄えておこう、ラクダのように」が強い人間もいるのじゃないかと思う。

祖父菊池寛は、腹が出ていたと聞く。尾籠な話だが、彼の逸話の中でよく出る話の中に下を見ても腹が邪魔して大切な部分が見えなかったと家族間には伝わっている。彼が鬼籍に入った歳は、59歳だった。今では、若い!しかし、話によれば大体そのぐらいが寿命だったらしい。
父は、我が一族では背の高い人だった。腹は出ていたが、背が高いのであまり目立たない。私の長男は、背も高かったし、腹も出ていた。次男は、若い時分から未だにサイズが変わらないと言う。筋肉造りが好きらしく「ずっとMサイズは変わっていないよ」と言う。

脱線するが、祖父のことを書いている書物は多い。拾ってみても、久米正雄、永井龍男、松本清張、井上ひさし、猪瀬直樹各氏も書いて下さっている。皆さん、菊池寛の風貌を書かれる時に「腹が出て兵児帯(へこおび)を常に垂らし、まるでシッポのようにして現れる」的表現をされているが、祖父に言わせるとそれは間違っているようだ。
100年近く前に、彼が医者にいって診てもらった随筆があるのだが、医者の見立ては次のようだった。

医者は、彼の脈を触っていたが「オヤ脈がありませんね、こんな筈はないんだが」と、首を傾けながら、何かを聞き入るようにした。医者が、そう云うのも無理はなかった。自分の脈は、いつからと云うことなしに、微弱になってしまって居た。医者は「ああ、ある事はありますがね、珍らしく弱いですね。今まで、心臓について、医者に何か云われたことはありませんか」と、ちょっと真面目な表情をした。聴診器を当て「病気です。つまり心臓が欠けて居るのですから」

この頃から、祖父は、ニトロを持ち歩いていた。高松の記念館には、当時彼が常に携帯していたニトロが展示されている。彼が着物の帯をだらしなく緩めに巻いて、シッポのようにしていたのは、帯を強く巻くと心臓が苦しくなるせいだった。死因は、狭心症だった。

話を戻す。今朝いつもの喫茶店にいると躰全体が大きい男性が入ってきた。食べ物、運動、食べる時間のことをマスターと話している。腹を凹ませ、体重を落とせ!が、社の命令だそうで、社から派遣されているインストラクターが常に彼に寄りそっているらしい。こんなことまで、管理される時代になったのかと、私は驚いた!アメリカの真似をして生きてきた戦後の日本を恨みもしたし、グローバルという言葉も呪った!呪いながら、自分の腹をさすってみたが、一向に凹む様子がない!戦後アメリカに憧れ、真似をしてきた世代は、正に私の世代なのだから……!