愛車たち | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 424

愛車たち

私が生まれた頃には自動車といえばアメリカ車、イギリス、ドイツ、フランス車がほとんどだった。
今、通っている赤坂、山王下、溜池などは外車のディーラーがあり、ビュックやクライスラー、ダッジやフォード、シボレー、オーゾモビルなどのアメ車の看板や、MG、ミニクーパー、ジャガーやベントレー、ダイムラーやメルセデス、オースティン、ヒルマン、ルノー、シトロエンなどの欧州車の看板が立ち並んでいた。

車の免許は、13,4歳くらいで50CCの原動付自転車(バイク)、16歳で360CCまでの軽自動車の免許証が取れたはずだ。因みに、私の運転免許証を見ると、昭和37年9月に小型の原付の欄に、中型・大型自動二輪の印が書かれている。

羨む方もいると思うが、現在大型二輪の免許はあっても私はバイクに乗ったことがない。最初13、4歳ころに取った原付の免許は、試験など無かったと思う。目の検査、屈伸をさせられたような記憶もある。手のひらや甲を試験官に見せてグー・パーとするだけ、耳の検査は、免許証ができた時に名前を呼ばれて、返事をすれば聞こえたことになる。もちろんバイクに乗って技術を見るとか、たしか法令の試験もなかった気がする。1時間くらいの講習は、あったかな?

2年後に、軽自動車360CCまでの四輪の自動車免許を取った。ちょうど、今から60年前のことだ。軽自動車は、法令も構造の講義や試験はあった。もちろん実地の練習も試験もあったが、原付の免許を持っていると、得点として時間が短縮された。18歳で普通自動車の免許を取ったが、軽自動車の免許を持っているとこれまた時間的な優遇措置があった。軽自動車を置いてある教習所は、少なかった。私は、小1時間ほどバスに揺られ赤坂にあった国際自動車の教習所まで通った。今の国際自動車の本社が建つ前の敷地である。 

赤坂は、今では繁華街だが、その当時は教習所の前に食堂があっただけで、朝一番に軽自動車で教習を受けて、食堂で朝食を取って帰った。学校があるから、夏休みに違いない。父が、そのころ中古のトヨペットクラウンを買ってきた。新車だと80万円の車だったと思う。初任給が何千円の頃だから今だったら、新車で1千万円から2千万円の間だろう。観音開きのクラウンは、黒塗りだった。
私は、マツダのキャロルという軽自動車から運転を始めた。スバル360にも乗った。今は、名前が別で有名になったコロナ。コロナハードトップやコロナ・マークⅡ、フェアリーZにも乗った。アウディがこんなに人気車種になるとは、思わなかった。

さて、今も免許の更新はしていくつもりだが、先日愛車だったBMWを手放した。最近の車は、コンピュータで全て制御されている。昔みたいに直しながら乗る時代ではなくなったようだ。コンピュータの寿命は、さほど長くはない。直せず、すっかり取り換えねばならない。愛車BMWは“ドナ・ドナ”の牛のように引かれて連れて行かれた。後ろ姿が悲しかった。16年も私を守ってくれた車だ。私は、ドラムを叩く!これからは、どうやってドラムを運ぼうか?私は、16歳から60年間事故を起こしたことはない!自慢のひとつだ。