閉門即是深山 409
瀬戸内・高松で
高松へ行くのは、約2年ぶりになる。別に環境問題が原因で飛行機を使わないわけではないが、新幹線からマリンライナーに乗り継ぎ瀬戸大橋を渡る気分は、また格別である。たしかに、飛行機は安いチケットがある。それを使えば新幹線+マリンライナーより値段は安い。四国の高松以外の空港がジェットを受け入れられるようになって、だいぶ後に高松空港が山を切り開いて長い滑走路のある空港にした!
それまでは、高松空港は、街中にあった。むろん乗る飛行機もYSのプロペラ機だった。機内では、隣の人と喋るのも難しいようなゴーっとした音が続く、しなくなったら落ちる時だからそれでいいのだが、高くは飛ばない。眼下には、雲の切れ間に海岸線が続くのが見えていた。YSは、グライダーのようなモノで大きな事故をあまり起こさなかった。海から回り込み源平合戦のあの屋島を眺めながら街中にある小さな高松空港に着陸すると、JALと鶴のマークの入った繋ぎの服を着た職員がタラップを運ぶ。タラップがガチャンと音がして飛行機に繋がると、スチュアーデス(今はCAという)が扉の取っ手を赤い矢印の方に曲げる。扉が開くと、西日の香りが吹き込んでくる。タラップからちょっと大きめのコンビニくらいの建物に向かう。屋上には、たしか見送りのためのデッキが付いていたような気がする。建物の入り口の右手には、讃岐うどん屋のカウンターがあった。以前、宇野と高松を往復する宇高連絡船の高松側の船着き場にも讃岐うどん屋があり、徳島や高知、愛媛に散っていく乗客たちは、四国に帰って来た感触を喉越しで感じたものだった。
街中の空港から中心街までタクシーを使うと、ものの15分で着く。街並みは、私の祖父の故郷だった。今の空港から街へは、40~50分かかる。太い1本道が続く。地方のどこにでもある光景だ。道には、中古車屋、ガソリンスタンド、大きなスーパー
!昔、街中の空港からタクシーでホテルに向かった時、赤信号で停まった運転手さんがミラーでやたらに私の顔を覗いていた。走り出すとすぐに「お客さんは、高松の人ですよね」と言う。何故かと訊ねると「お客さんの鼻、高松の鼻だから」と答えた。降りて、荷物を運び出してくれている運転手さんの顔を見ると、たしかに私の鼻と似ている形であった。
実は、高松駅前のサンポートのホールで講演会をやる。昨年は、コロナのためにできなかったが、十数年続けてきた講演会で、今回の講師は、吉岡忍さん。吉岡さんには1年も待って頂いた。来年は、秋、何時になるか知らないが、やはり1年もお待たせした下重暁子さんに決まっている。1時間の講演に、プラス講師と私の対談で構成されている。
来年1月は、祖父・菊池寛が『月刊文藝春秋』を自費で創刊して100年である。来年の1月号(2021年12月10日発売号)の『月刊文藝春秋』で100年企画をすると聞いた。私もご依頼を受けたので原稿を書いて担当編集者に渡してある。家族も知らないだろう「女の怖さ」が滲みでている雑文で、菊池寛の妻、つまり私の婆さんからそっと聞き出したエピソードである。編集で変えなければ「菊池寛『妻帰る』」と題をつけた。この宣伝を講演会の吉岡忍さんとの対談前にしようと思っている。