閉門即是深山 406
躰も心も健康でないと
京大の名誉教授森谷敏夫先生の半自叙伝を書いた。題名が少々長いが『彼と博士のものがたり──彼が博士になるまで』と付けた。森谷博士は、『京大の筋肉』というシリーズで本を出している。そのため、タイトルの前に「京大の筋肉SP 筋電メディカル発明者 Dr.Toshio Moritani」と、これまた長い説明がなされている。
私の本のタイトルは長い。以前、私の勤めていた会社で、私がタイトルを付けた一番長い本は『ちび象ランディと星になった少年』である。これは、映画化され「星になった少年」と短くなった。
最近のテレビドラマや日本映画のタイトルを見ると長い題名が多い!題名にもブームがあるんだ、と思う!昔は、小説の題名に一文字、二文字が多かった気がする。しかし、今回の『彼と博士のものがたり──彼が博士になるまで』は、奇をてらったわけではない!短くできなかっただけのことだ。“彼”は、体操競技でオリンピックを目指し、1976年7月からカナダで開催された第21回モントリオールオリンピックを目指す有望な選手時代に鉄棒から落下、選手生命を失った。
が、ぱっと頭を切り換えられたのが凄い!大怪我でアスリートにピリオドを打った瞬時に彼は、博士の道を目指した。アスリートの時は、メキシコオリンピックやミュンヘンオリンピックの体操競技で大活躍した中山彰規選手に憧れ、中山選手の出身大学、中京大学に入った。憧れは、現実となり、彼は、文武にすぐれ、体操では森谷といわれる選手となった。事故が起きた!安全のために敷かれたマットの外に落ちたのだ!
彼は、中京大学の全ての単位を取っていたから、みなより先に卒業し、南カリフォルニア大学に再度入学した。南カリフォルニア大学は、屈指の名門大学で、スタンフォード大学やイエール大学と同じレベルの超のつくほどの難関大学である。彼は時々「僕は、アスリートとしても凄いけど、頭も良かったんだ!」と言うが、その通りと言えざるを得ない!彼は貧乏だったが、「ヘイ、ジャップ!」と言われながらレストランで皿洗いのアルバイトをして、学費や生活費を賄っていた。彼は“スポーツ医学”の博士号を取得して、筋肉の研究に入って行く!彼が(博士)が、“京大の筋肉”と渾名を付けられたスタートラインには、このような経緯があったからだった。
なぜ森谷博士の“半自叙伝”を私が書きたくなったかと言えば、日本において森谷博士以上に筋肉の知識を持った人を私は知らない!筋肉は、人間の生命を司る重要な臓器で全ての臓器をコントロールする、心臓も肺も、筋肉の世話になっている。その重要な筋肉を一番よくわかっている博士を皆さんに紹介したかった!彼の研究の成果をみなさんに知ってもらいたかった!
今、彼は、杖や車椅子、寝たきり老人の筋肉造りの補助器の製作の研究に励んでいる。それを「筋電メディカルEMS」という。『Dr.森谷敏夫の年をとったらなまけものでいいやん──熟年筋トレ』という本も出す。認知症対策、糖尿病対策、科学的な高齢者向け他動的運動メソッドの開発である。失禁、自律神経のバランスの回復、がんやうつ、脳卒中の予防にもいいと聞く!補助器は、もうすぐにできる!