閉門即是深山 372
筋電メディカル博士
「筋電メディカル」と言う言葉を知らない人は多いと思う。実に簡単に言えば、電気で人間の筋肉を動かせるという事である。これをエビデンス(根拠や知見)に基付き、実用化出来るようにしたのが京都大学の名誉教授森谷敏夫先生である。
先生は沢山の本を出されているが、特に最近は、この筋電メディカルについての本が多い。以前は、メタボリック症候群に関しての本が多かった。
例えば講談社から『人は必ず太る しかし 必ずやせられる』とか『ボディ・リストラクチャリング』(森永製菓 健康事業部)、『からだと心の健康づくり』(中央労働災害防止協会)、『メタボにならない脳のつくり方』(扶桑社)、『ダイエットを科学する』(ディジタルアーカイブズ)、『メタボリアン改造計画』(NHK出版・共著)、『やせられないのは自律神経が原因だった!』(青春出版・共著)、『定年筋トレ』(ワニブックス)、『京大の筋肉①②③』(ディジタルアーカイブズ)他。著書の順番から博士の興味の変遷が伺える気がする。
森谷名誉教授の略歴をここに紹介すれば「京都大学名誉教授/京都産業大学、中京大学客員教授/株式会社おせっかい倶楽部代表取締役/NPO法人エビデンスベーストヘルスケア協議会理事。1950年、兵庫県生まれ。1980年、南カリフォルニア大学大学院博士課程修了(スポーツ医学、Ph.D)。テキサス農工大学大学院助教授、京都大学教養部助教授、カロリンスカ医学研究所国際研究員(スエーデン政府給費留学)、米モンタナ大学生命科学部客員教授等を経て1992年、京都大学大学院人間・環境学研究科助教授、2000年から同科教授、2016年退官。国際電気生理運動学会(元会長、終身フェロー)、国際バイオメカニクス学会理事、アメリカスポーツ医学会評議員、日本運動生理学会理事、日本体力医学会理事、日本バイオメカニクス学会理事、ネスレ栄養科学会理事、日本肥満学会評議員、国際統合医学会顧問、NSCAジャパン理事長などを歴任。」その後に、博士の学術論文のタイトルが並べられている。
これだけ読むと、いかにも近寄りがたい!しかし、この経歴を持つこととなったひとつの重大なエピソードがあるのだ。博士は、中京大学の先輩で1968年のメキシコシティオリンピックと1972年のミュンヘンオリンピックの体操競技で、金メダル合計6個、2個の銀、2個の銅メダルを獲得した中山彰規選手にあこがれた。
博士は、小学6年の運動会で鉄棒の模範演技を行うほどの才能があった。大学3年、21歳の時に第21回のオリンピックを目指すまでになっていたのだ。日本全国の体操関係者からも一目も二目もおかれる存在だった。
事件が起きたのは、そんな時だった。得意の鉄棒から博士は、落下したのだった。悪夢が襲った!いつもと感覚が違っていたのを思い出す。救急車で搬送された!窓に赤色灯の影が映るのを呆然と見ていた。サイレンの音が何故か遠くに聞こえた!この時が博士の夢が変わった瞬間だったかも知れない!自分は出場が叶わないが、今後のアスリートの為に、そして、不自由な身を持つ人の為に、躰が弱くなった老人の為に!それが筋肉の研究だった!