足利にあるワイナリー| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 371

足利にあるワイナリー

テレビで見られた方も多いと思う。足利の一山にブドウ畑を作って、ブドウ園を開いた爺様がいた。今は、その方のお嬢様が園長をされているはずだ。

昔、フランスのワイナリーのロマネ・コンティに2度ばかり取材に行ったことがあったが、山の斜面の感じがそっくりである。最初は、小さなブドウ畑であった足利のワイナリーも時が経って、良い葡萄が出来るようになった。山に洞窟を掘ってワインを寝かせる場所もある。

観光で行けば、ワイン作りを見学できるようである。大きな素敵な建物も出来て、これもまた広いテラスがついており、洋食のランチを食べることが出来る。ワインやその山で出来たシイタケ、ジャムや蜂蜜などのお土産を売るスペースも充実している。それが、ひとつ、ひとつ美味なのだ。

最初の爺様園長と私の叔母とは、とても仲が良かった。苦労を共にした事があったからだ。私の父の妹である叔母は、私が産まれるころに男の子を授かった。その子が、死産だったのか、生まれてスグに亡くなったのかは、訊いたことがない。ただ、戦後すぐのころで、私の母が私を産んだ時には、お乳が出なかったようだ。

私は、叔母のお乳で育った。叔母は、私の第二の母である。2年後に叔母は、娘を産んだ。マルコと名付けた。マルコは、可愛い娘だったが、ひ弱な子だった。色白で、いかにも触れば壊れそうな娘だった。
「私ね、40歳までは生きられないと思う!」マルコが、私に言った事だ。彼女は、その言葉通り39歳でこの世を去った。

今から60年以上前になるだろう。私が、中学生の頃だったろうか!マルコと遊ぼうと近くに住む叔母の家に行った。すると叔母の膝の上にチョコンと座っている男の子がいた。最初は、きっと私は面食らっていただろう。その子は、突然現れたマルコの弟だった。

叔母が、亡くなる前に私に言った話がある。親に捨てられた子供たちがいる施設に叔母夫婦が行った。ひとり育てるのも2人も同じと思ったのか、生まれてすぐにあの世に逝った息子を慕ってか判らないが、ひとりの男の子を育てることにしたのだ。「そしたらね、あの子の知恵が少し遅れていて、後の施設長との面談でその事を言ったら、それじゃ他の子と、だって!犬や猫の子じゃあるまいし!犬猫だってしないわよ!冗談じゃないわよ、私がちゃんと育てますから」

優しくて、あまり怒ったことの無い叔母が、さすがに怒って2度と施設に行かなかったらしい。「そんな事があったんだよ、あんたも知っているように私は、ちゃんと育てたよね」叔母に私は相槌を打った。

「あの子が大きくなって、独り立ち出来るように私の籍にも入れなかった。本当の親の姓名を使わせた。そして、今度は自立だよ!ちょうどその頃、あのワイン畑の話が出てね。おばちゃん、賛同したのよ!だって、そういう子がいっぱいいるでしょ!面倒をみてくれながら、働ける場所、ちゃんと給料もくれて、住む家だってある。あの子たちにとって、自立することが大切だもの!私だってそんなに長く生きられないでしょ!生きてたら、オバケよ!」

あのワイナリーのワインは、そんな子供たちが、いや、もう大の大人だが、それぞれに出来る力を絞って作ったワインなのだ。美味いに決まっている。次々に新しい若者に継がれて!