閉門即是深山 367
平和とは?自由とは?
先月の13日、私が勤めていた出版社文藝春秋から半藤利一さんの死を伝えるメールが届いた。彼は、90歳の死であった。
社を退職された後に半藤さんは、テレビやラジオ、雑誌などで大活躍され、彼の著書の代表作になった『日本のいちばん長い日、運命の八月十五日』は、ベストセラーになった。この作品は、太平洋戦争体験者28名による戦争体験座談会を1963年8月号の『月刊文藝春秋』に「日本のいちばん長い日」のタイトルで掲載されたものを彼がまとめ直して1965年に単行本化したもので、売るため営業上の理由で大宅壮一の名前を借りて出版している。彼の義祖父は、夏目漱石である。1993年に半藤さんは『漱石先生ぞな、もし』を出版し、新田次郎賞を受賞している。
1993年彼の人生の後半は、昭和史研究家と名付けてもいい。日本のジャーナリストでもあり、戦史研究科でもある。
彼は、昭和5年(1930年)生まれである。第二次世界大戦・太平洋戦争は、彼の多感な少年時代、9歳ころから15歳ころまで彼は体験したわけで、彼の興味が太平洋戦争から始まったと言ってもいい。満州事変は、1931年、昭和6年から始まり1933年まで続いた。半藤さんが1歳の時からであった。太平洋戦争の後は、1950年から1953年まで続いた朝鮮戦争である。半藤さん、20歳から23歳までの隣国の戦争であった。彼の時代は、続けざまの3つの戦争体験から始まったのだ。
半藤さんは、私の先輩で16歳年上である。私は、若い時に彼と仕事を共にしたことがあった。私が、20代の中頃だったと記憶しているから、もう50年も前だ。日本の近代戦争史に興味を持つ彼は、会社を説き伏せ『文春デラックス』と名付けた季刊雑誌を出した。太平洋戦争の陸、海、空軍の話が主だったと記憶している。何年か前に菊池寛賞の選考委員のひとりであった彼に、菊池寛の郷里の高松で講演を頼んだことがあったが、冷たく断られた。クールな人ではあったが、人情も持ち合わせていたのに・・・。今から考えると、もう気力がなかったのかも知れない。
今さらながら、彼に訊いておけばよかったな、ということが沢山ある。「死んでしまったんだもの。それも、このコロナ禍で、だ」と、大きな声で笑いながら言う彼の顔が浮かんでくる。訊きたかったひとつは、彼がこのコロナ時代をどう見ていたか、だった。ある意味で、コロナは、細菌戦争とも言える。人の命を狙い、また、自由を奪う。それが世界中の人間たちと細菌の戦いである。
「人間と人間との諍い、戦争は結構調べたけどね、細菌と人間の戦いは、判らないよ!」
半藤さんは、言うだろうか?「とにかく、戦争の体験を一度もしないで平和というまやかしの中で、のほほんと暮らしたお前たちは、一度くらい真剣に命や平和、自由という言葉を考えてもいい頃じゃないか!『半藤先生ぞな、もし』。じゃ、さいなら!」
半藤利一ならば、そう言うに決まっている。