杉田玄白と平賀源内| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 354

杉田玄白と平賀源内

ふたりの名前を書くと何か歴史の教科書みたい!こんなに有名な人たちが私の家系の知り合いだったなんて!知っていたら、中学の歴史の時間にもっと一所懸命に勉強していたと思う。

祖父・菊池寛の系図を紐解けば、藤原北家九条流氏族中関白道隆に戻る。その子隆家、その子供政則がご先祖様らしい。隆家が肥後熊本の鞠智城に入った。熊本には、台風で荒れ狂う菊池川がある。この辺に住まいを持ったのが菊池の名を付けた由来だろう。
祖父が探して見つけたのは、小田原にいた菊池だった。勤王で通した藤原菊池は、まず平家、その後源氏、北条についた。北条氏康当時の永禄年間に書かれた小田原分限帳には、菊池掃部丞 菊池郷左衛門 菊池右近丞の名が残っていた。菊池武士が、北条を味方した証だった。豊臣秀吉軍に小田原城を攻め落とされ北条は潰され、菊池武茂は高野山で剃髪、刀を置き武士を捨てた。その子供菊池武方(儒者の号・菊池元春)から菊池寛の祖父・菊池武章(号・菊池惕所)まで、江戸時代の終わりまで儒学者の一族となったらしい。

今、高松の菊池寛記念館で企画展をおこなっている。それも、3年くらい前に家で見つけた朽ちた箱を記念館に送ったのが皮切りになった。
元春は、近江膳所藩で儒者博士となり、その子耕斎は、久留米藩、薩摩藩の儒者となった。半隠・菊池武雅から高松藩の儒者博士になって、私のひいひい爺さんまで高松藩の藩儒となっている。その後は、明治維新無血革命で天地がひっくり返るが…!

その朽ちた木箱には、な、なんと杉田玄白が守拙に送った手紙が入っていたのだ!
あぁ、知っていたら記念館なぞに送らずに古物商に持っていったのに!ものを知らないと損をしますね!知っていても毛筆でしたためられた手紙なぞ判りもしないし、友を送る漢詩なんて宇宙人が残した印の如くチンプンカンプンだったに違いない。

NHK高松テレビから電話がありました。本来は、高松へ来て出演して語って欲しいが、と前振りがあり、リアルな電話取材をしたいとの申し出です。たぶんローカルで、東京では見れないと思いますが、10月26日(月曜)の17時49分から静かな場所にいてくれと言うのです。質問は、私の知らないことばかりですから、高松の菊池寛記念館にアンチョコを作ってもらうことにしました。

今、メールで届いたそのアンチョコをコピーしていたら、社主が見て「怖~い!」と叫ぶのです。それが、杉田玄白が守拙に送った送別の手紙と漢詩だったのです。
確かに、所々にシミのある巻紙で、毛筆で書かれ杉田玄白とふたつの落款が押してある古いモノですからちょっと見ると怖いかも知れませんが、記念館や博物館などではガラス越しにしか見られない貴重な代物なのです。萬年先生と書かれていますが、菊池寛のひいひいお爺さんにあたる守拙爺さんのことです。記念館からの資料を見ると、元春から数え三代目の黄山の教え子が、平賀源内や後藤芝山、柴野栗山でした。

だからどうした!と、言われても困るだけですがね!