閉門即是深山 342
石神井の家
「コロナ太りしちゃったぁ~!」最近よく聞く言葉だ!
5月に高松で原田大二郎さんとトークショーをすることになっていたが、来年に延期された。私の仕事の中に講演や対談トークや座談会の出演などもあるが、比較的秋に集中する。経済を考えると今回のような3ヶ月近くにわたるコロナ自粛は、もう無いと思う。国は別として東京都には、休業手当を出す予算などは、もうあるまい。各地方の自治体は、国や東京都の動向を見ているし、この秋の文化事業をどうするかを決めかねているに違いない。
私の仕事の秋の最初は、9月13日の日曜日に石神井公園の中にある文化館で午後2時からの私の講演。「練馬区立石神井公園ふるさと文化館」催する講演である。「ないのかな、あるのかな?」と思っていたら100名用の席を40名にへらして決行すると連絡があった。「すみません、100名以上の参加希望者がいらっしゃるのに40名に抽選で絞って!」主催者の担当者から電話を頂いた。「いえいえ、お客様がおいでになる以上、おひとりでもしますよ」と返すと、「ホッ!」とする声が聞こえた。
祖父の菊池寛は、妻のために石神井に別荘を造っていた。えっ、石神井が別荘?あんな近くに!売れっ子作家の時、雑司ヶ谷の家には、多くの編集者が通って来た。その頃は、今のように乗り物だって不便で、若い編集者など新橋始発のバスで終点神楽坂まで来て、1時間近く歩いて来る。省線でも目白駅から人力車に乗れればいいが、さもないとやはり1時間近く歩くのだ。
祖父は、朝5時に起き、来る編集者のために原稿用紙1枚ずつでも書く。泊まり込みの編集者もいただろう。昼まで家で原稿書きと編集者との打ち合わせで時間を使い、その後、自分が社長をしている文藝春秋や講演会、作家の集まりに出て行く。携帯電話やFAXのある時代では無い。ひとりが会社に原稿を運び、ひとりが雑司ヶ谷の祖父の家で菊池寛の帰りを待つ。大きな家で編集者用の洋間が4部屋、その中には3,40坪の広間もある。2階には、旅館のような和室が2つ。仕事部屋などがあった。5,6人の女中さんたちが立ち働いていたが、プチホテルにあるような大きな厨房で編集者やお客の朝、昼、夕食を作っていたのが妻の包子だった。私の婆さんで“かねこ”と読む。日曜日は、競馬の無い時など家族で外食をする。「日曜日は、お母ちゃんも休みの日だ」と爺さんは、決めていた。これは、私の父も私も守り、菊池家の習慣のひとつに今でもなっている。
それでも忙しい妻のために石神井に家を建てた。今では、新青梅街道沿いに扇山公園(扇山遺跡跡)となっていて「菊池寛別邸跡 扇山公園」と立札がある。
実は、あるサイトを見て驚いた「病弱だった妻のために建てた別邸」と書かれていたからである。誰が病弱じゃい!あんな我儘婆さん!人前では良き妻を演じているくせに、家の中ではわめき散らしていた婆さんだ!きっと爺さんは、婆さんがウルサくて、一緒に居ないよう、そのために石神井に家を建て、体良くたまに追いやったに違いない!別邸と書かれているが、家族内では「別荘」と言っていた。菊池寛が亡くなる前々日までの半年間、婆さんがこの石神井の家に家出をしていたことは、誰も知るまい!