閉門即是深山 296
鶴岡市立藤沢周平記念館での講演
新幹線「とき」で新潟まで行くのは、初めてであった。
「とき」は、以前は特急で越後湯沢近くのスキー場に子供達を連れて行くのによく使った。あの頃の特急は、とても楽しかった。大雪や台風、川の氾濫、特急がいつもは停まらない小さな駅に停まる。夜中で普段は眠りについている小さな駅前は、突然活気づく。飲み物、食べ物は、特急客で買い荒らされ、どこの店も1年に1度の繁盛であった。携帯電話の無かった時代だから、公衆電話の前は、有名料理屋のランチ時のときのような、長蛇の列である。列車がいつ出発するか判らないから、戦々恐々としている。飲み物または喰い物を優先すべきか、公衆電話の列を優先すべきか、突然のことで迷っている乗客もいる。そこには、グリーン車客もエコノミーも無い。何が今後起こるか、その為に何をすべきか、生き残り作戦の亡者の顔だけであった。面白かった!スキー客で充満している車両だから、指定席を持っているのに、席まで辿り着けないこともあった。
そんな「とき」も偉くなったものだ。
音もさせずに東京駅のプラットホームを滑りだした時、心の中で拍手をしてしまった。越後湯沢の駅に停まった新幹線「とき」の車窓からは、いつも帰りに寄っていた想い出深い蕎麦屋は見えなかった。駅の場所が変わったのかも知れない。
新潟駅に近づくと車内アナウンスが聞こえた。「改札口は、右の方!「特急いなほ」にお乗り換えの方は、左の方!」と言っている。ぞろぞろと列の後ろに付いてプラットホームに出た。
私の行き先は、山形県鶴岡駅である。ここで特急に乗り換える。言われたように左を見たが、何も無い。ただ前の車両から降りて、こちらに向かって来る人ばかりだ。なぜ案内が無いのだ!仕方が無く踵を返した時に見た!「とき」の反対側のホームの向こうに「特急いなほ」が停まっている。そしてそのプラットホームの真ん中に柵があるのだ。ガラガラと荷物を引いて新幹線に乗り込み、反対側に降りた。両扉が開いていたのだ。まだ停まっていてくれて良かった。柵の中央に乗り換えの為の自動改札があった。こんな便利で奇抜な乗り換え方法を初めて使った。「いなほ」は、2時間程で鶴岡駅に着いた。主催者側の配慮で、連結をスムースにしてくれたのだろう。
翌日は、快晴でとても暑かった。鶴岡城の跡は、大きな公園になっているが、本丸のあった所だけは、立派な荘内神社が建っている。その隣が、藤沢周平記念館である。ひと通り見せて頂き、2~30歩の所にある神社のホールに行った。昔は、さぞ結婚式などで賑わったホールのようである。休憩室に座っても落ち着かないので、神社に参拝し、息子夫婦のために「夫婦守り」のお札を頂戴した。講演開場時間までまだ大分間があるというのに長い列が出来ている。満席らしい。暑さで可哀そうなので、何人かのお歳を召した方に「水でもお持ちしましょうか?」と聞いた。何を話すかまだ決まっていないのに!