閉門即是深山 278
鶴岡市立 藤沢周平記念館
昨年11月ころ、以前私が勤務していた出版社の女性編集者から電話があった。
「今年の菊池寛賞には、お見えになりますよね!ぜひに、お会いしたいと仰る方がいらっしゃいます。私が、お引き合わせいたしますので」
毎年、菊池寛賞は、12月の第1週の金曜日に行なわれる。受賞式の後、受賞パーティー兼その出版社の忘年会となるから1000名以上のお客様で会場は、いっぱいになる。
建てかえる前までは、虎ノ門にあるホテル・オークラの宴会場をぶち抜きで使っていた。それには、訳がある。戦後、その出版社が苦しい時に、大倉財閥が、何かと便宜を計らってくれたからだ。最近の社員は、知らないかもしれないが、昔から「オークラには、足を向けて寝れないんだぞ!」先輩たちが言っていた。
今、ホテル・オークラは、改築の真っ只中で、別館に宴会場はあるものの、1000名以上収容できるスペースは無い。よって、工事を始めた時から、この菊池寛賞は、帝国ホテルの孔雀の間に移っている。
話は、逸れるが、芥川龍之介賞や直木三十五賞は、以前東京會館で行なわれていた。やはり建てかえ工事の為、この両賞も帝国ホテルに移したが、建ちあがっても帝国ホテルのままである。東京會館は、出版各社の催しを一手に引き受けてきた歴史があるが戻った会は少ない。戻す為に、帝国ホテルの営業マンまで引き抜いたらしい。
12月の1週の金曜日、急用が出来てしまった。本来は、祖父生誕130年・没後70年の記念の菊池寛賞だったから、是非ともと行く気になっていたし、電話での約束もある。しかし、前日夕方に急用の連絡が入ってきた。後からの話だが「だいぶ色々な人が、あなたを探してましたよ!」と言われ頭を掻くしかなかった。
電話の約束の方に、2月にある芥川賞・直木賞でお会いするよう変更して頂いた。受賞式後のパーティーで、会うことが出来た。「なぁんだ、昨年か一昨年お会いしてますよね」私が言った。藤沢周平さんが愛したご令嬢で、2010年4月29日に開館した鶴岡市立 藤沢周平記念館名誉館長をやられている遠藤展子さんだった。「水くさいなぁ~!」直接携帯にでも電話くれればいいのに、だったら時間合わせてどっかでお茶でも飲みながら話せたのに。そんな気持ちだった。
「お願いがあるんです!藤沢周平記念館では、毎年、1回か2回企画展をやるんです。その時に講演者に来てもらって…」「ボ、ボクですか?いいですよ、決めた責任は、展子さんですからね、ボ、ボクは、今までもNO!と言ったこと無いんです。ボクでいいんですか?」「テーマは、仇討です。企画展が、父の作品の『又蔵の火』なもんで!詳しくは、後日記念館から…、ご連絡します」
まだ、日時は決まっていない。どうも7月の最初の土日か、次の週の連休になりそうだ。7月の月末の週末は、高松で講演がある。同じこと喋っちゃおうかな!山形県と香川県、遠いから同じ人聴いてないもんね!