閉門即是深山 274
老い
いつものように、朝9時過ぎに赤坂にある喫茶店に入った。そこから50メートルも歩けば、私に居場所を提供してくれているオフィスがある。
この喫茶店は、煙草も吸え、美味しいコーヒーを飲ませてくれるから、オフィスに入る前にかならず立ち寄る。同じ喫茶店に決めているのは、友人が出来るからだ。この店にも何人か友人が出来た。いろいろと違う仕事をしてきた人たちの話を聞くのは、楽しい。
ついでに言えば、私が時々ドラムの練習に行くスタジオは、メトロ有楽町線の江戸川橋駅にある。11時から予約を取っているのだが、やはり9時過ぎには江戸川橋の駅に着く。改札口から100メートル歩いた所に行きつけの喫茶店がある。奥には、比較的大きい喫煙出来る部屋がある。ここにも老人仲間がいる。行っても、行けなくても、とりあえず私の席を確保してくれているのだ。いつも誰かが、その部屋からキョロキョロと入口を見ている。私が入店した瞬間、ここ、この席を取っておいてあるよと、手招きしてくれる。もちろん私が1番に着けば、4席くらいを確保する。赤坂よりも高齢の仲間だ。だから同じ話を延々とする時もある。しかし、それ、前に聞いたよ、とは言わない。老いには、ルールがある。一番してはいけないのが「それ前に聞いたよ!」という言葉である。年寄りには、そんなに真新しい情報は無いのだから、また、言ったことを忘れるのだから「前に聞いた」というセリフは、禁忌である。
現役時代、衣服のセールスをしていた人、飲料のセールスをしていた人、料理人、それぞれに面白い人生を送ってきた連中の集団である。もちろん病気の話も出る。戦後のラジオ番組の話も出る。60年以上前に、この江戸川橋近辺がどうだったかという話もある。やっかいなスマホの使い方の話、最近読んだ小説、面白くて読むべき小説、競馬の馬券の話、築地場外で迷った話、競馬中継を聴きたいがどこにもラジオが売っていないという話、オトウサン周りの人に聞けば、何階に売ってると教えてくれるのにオトウサンは聞かないんだからと年長のオトウサンが叱られてる話、釣りが好きで誰も興味を示さないのに釣りの話をする話。実にどれも面白い。
今、ブログを書こうとオフィスに来たのだが、内装工事をしていてトイレが使えなかった。もれちゃうよと私が言ったら、道路を渡った某所に行ったらと言われる。もつわけが無い。老人なのだ。膀胱近辺の筋肉はすでにたるんでいるのだ。もじもじと歩き、今までいた喫茶店に戻って「トイレだけ!」とさけんで、飛び込んだ。「いつでもどうぞ」後ろから声がかかる。老いは、また楽しい。