閉門即是深山 241
無事之名馬
「無事之名馬」とは、祖父が色紙に書いていた言葉である。
多少能力が劣っていても、怪我をせず無事に走り続ける馬が名馬という意味で、競馬好きだった祖父がよく使っていたのも判る。語源は、中国の唐の時代、臨済宗の開祖の禅僧臨済義玄の語録集に「無事是貴人」という言葉があり、捩(もじ)ったに違いない。「無事是貴人」とは、自然体の内に悟りを得ることの出来る者こそが貴人、ということであろうか。
6月2日、私の属するバンドのライブが予定されていた。その約10日前にドラムの自己練習をしようと地下鉄に乗って練習スタジオに向かった。いつもと同じ、快調であった。駅を降りてスタジオに向かう道すがらも、いつもと同じである。めずらしく、そのスタジオの持ち主が留守であった。廊下も真っ暗である。予約は、入れてある。彼の携帯に電話をしてみた。「ゴメンナサイ!今日、外でひとと会うことになったので、いつもの所に鍵があるから自由にやってて」
彼の返事だった。その時、急に身体に違変を感じた。彼の返事に私は「ちょっと体調が変だから、今日はこのまま帰りますので」やっと返事をした。腹痛と吐き気、堪えられぬ腹痛の繰り返し。救急車に乗せられ、夕方には緊急手術となった。CTでの腹部検査、レントゲンは立つだの寝かされるだのの何枚もの撮影、もちろん血液検査等々の検査が終わった後に医者が寝ている私の顔を覗きこみ、何か言っている。こちらは、気絶寸前の痛さを堪えているのだ。気絶した方がよほどマシだと思っているのだ。もぐもぐと言っている医者の言葉が入ってこない。「緊急手術」と「30㎝くらい」だけ聞こえた。後で聞けば、どうも30年前に開腹手術をした腸の近くに綻びが出来、その穴に別の場所の腸が入りこんで腸閉塞を起こしたらしい。もし、入った腸が死んでいたら30㎝ほど切って繋げる。ゴムホースみたいに。生死に拘わる状態だから緊急に手術をするから「同意」して欲しい。と、言ったらしい。30㎝腸が短くならずに済んだ。しかし、ライブがある。とにかく急ぎに直して退院せねば、バンドの仲間に迷惑がかかる。
次の日の朝から歩きだした。元気になる方法をこれしか思い出せない。歩いた。最初は、やっと100m、それが4キロ歩けるようになった。5月中に退院することが出来た。しかし、6月のライブを楽しみにしてたはずの優しいバンド仲間たちは、私の身体を気使って延期していてくれたのだ。ホッとしたからか?不味い病院食から抜け出られ、暴飲暴食したからか?または、長年罪深い生活を繰り返し神から見放されたのか?2日の日のちょうどライブが始まる予定だった時刻に再度の腹痛が始まり、再入院を余儀なくされた。
実は、この記事が載る次の日がライブの日である。腹を擦ってみた!