閉門即是深山 232
往きは、よいよい。帰りは恐し!
ニュースでは、この空港は濃霧で欠航便が続いたという。
5月の連休の合間であった。
4月の最後の火曜日に、日本ペンクラブの「ふる里と文学」特別プロジェクト委員会の招集を受けた。今年は、祖父菊池寛の生誕130年、歿後70年の記念の年で、高松市菊池寛記念館と日本ペンクラブのジョイント催事の企画が進められている。その委員会で、急ぎ高松市と今後を話し合うための出張が命じられた。
専修大学の教授Yさんと私とが先発隊の役目を仰せつかったわけである。Y教授は、忙しいらしい。う~んと、5月だったら2日の水曜日しか空いてる日が無いよ~っ!と言う。私は、歳が歳だから、そんなに忙しくもないが、なにも連休の合間に行かなくてもと思った。それも日帰り出張である。私は、2月にも四国の高松に行ってきた。香川菊池寛賞に出席するためである。この10年以上高松を往帰きしているが、日帰りをしたことがない。老いた身体が持つだろうか。しかし、仕方が無いと、5月2日の連休の最中の高松日帰り出張を承諾した。なにせ決まった日から1週間後に高松に行かねばならない。
まずは、飛行機の手配である。日本ペンクラブの事務局長から、羽田発のANA533便に乗るように連絡をもらった。私は、年に3~4回高松に行く。高松市菊池寛記念館の名誉館長の仕事があるからである。ほとんどの場合新幹線で岡山に行き、マリンライナーに乗り換えて高松駅に行くことにしている。叔母の話では、昔は、24時間以上かかったらしい。現在では、新幹線とマリンライナーを使っても4時間と少しで高松に到着する。しかし、陸路は値段が張る。飛行機も往復で5万円以上かかるのだが、早割で買えれば片道1万円ちょとになる。Yさんに連絡をとってみた。それが、さあ~っ、間違ってJALを取っちゃってさ~ぁ、でも僕のほうが10分だけ早く到着するから待ってるよ。
そして、Yさんと出会ったのが濃霧で欠航が続いたと聞いた次の日の高松空港だった。午前11時頃の高松空港は、霧の“き”の字もなかった。副市長に会い、記念館の会議室で市の方々と話し合った。私の帰りの便は、19時半発のANAである。Yさんは、20時発のJALだった。ふたりで空港の中で讃岐うどんを食べながら待つ間に、ふたたび濃霧が襲って来たらしい。「全日空より搭乗のお客様にお知らせいたします。濃霧により到着が遅れていますANA544便は…」ANAは、到着して、折り返し羽田に飛んでくれるらしい。しかし、次のアナウンスでは、日本航空の便は、どうなるか判らないと言った。Yさんの顔が青くなるのを見た。