閉門即是深山 207
音楽
10月のことだった。台風21号がもの凄い勢力で関東に向けて突進して来る。予報では、その日曜日から翌日早朝にかけて東京に猛威を振るうだろうと予測していた。前日から私は、行くか否かを迷っていた。70歳を過ぎると、いろいろな災難に巻き込まれてしまう。何でもないのに、転んで足や腕、骨盤や尾骶骨を折ったりすると聞く。骨がもろくなったりするのだろうが、目も悪く、耳も悪く、脳も悪くなる。ポンコツ状態である。
私がドラムスを敲いているバンドのメンバーで、キーボードを弾く女性が他のバンドにも属していて、そのライブを渋谷と原宿の中間にあるライブハウスでやると言って誘われていた。
ちょうどこの日。私もふたつのバンドに所属している。両方でリードギターを弾く親友夫妻も、最近、我々のバンドに入ったサイドギターの皮膚科のお医者さん夫妻も、付き合うらしい。ライブハウス近くの駐車場を、私は知らなかった。電車を乗り継ぎ、渋谷駅まで行き、後は徒歩10分であった。なんとなく憂欝だったが、意を決して行く勇気を振り絞った。
渋谷駅に出たは良いが、やはり土砂降りの雨と猛威の台風の風。何べんかライブハウスに電話で場所を確かめながら歩いた。三つのバンドがやるらしい。キーボードの属すバンドは、最終で2時に入ればいいと言われていたが1時にライブハウスに着き、地下へ入る階段を降りた。すべる、外からの「バケツをひっくり返したような」「滝のような」雨が階段を落ちて行く。下からは、腹を痺れさせるような、ドラムのバスドラムの音が聞こえる。ドアの前に立つとかなり爆音である。入るとみな揃っていた。その輪には、出演を待つキーボードもいた。ステージでは、聞いたことも無い曲。聞いたことも無い爆音が鳴り轟いていた。誰かが、濡れティッシュをくれた。耳に詰めろということらしい。いつごろの曲だろうか。老人のみなは、聞いたことも無いと言う。たぶん、我々が社会人になって音楽から遠のいた後、こんな曲が流行り出したのだろう。
音楽の歴史に詳しいわけでは無いが、昔は、バッハやシューベルトなどのオーケストラ用の曲が大衆音楽だったに違いない。アメリカが建国され、移民たちがそれぞれの国から楽器を持ち寄った。ドラムスとは、ドラムセットのこと。各国の太鼓やシンバルをひとりで敲けるように工夫をした。南アメリカでは、ラテン系の曲が生まれ、デキシーランドジャズからスタンダードジャズに繋がれ、モダンジャズが生まれ、ジャズより奏で安いロックンロールが流行り、ベトナム戦争当時、日本でもアメリカでも反戦歌としてフォークソングが流行した。また、この時期に同時に流行ったのがリズム&ブルースで黒人の悲哀を歌った。
音楽は、楽しさ、哀しさ、喜びを伝えてくれる。涙や頬笑みを!しかし、爆音は怒りのみであった。