閉門即是深山 194
芥川龍之介歿後90年の時
年に一度、高松市菊池寛記念館の発行している『文藝 もず』という冊子がある。年に一度の発行だが、A5判200頁だから冊子というより雑誌といっても過言になるまい。今年の表紙には、18号と書かれてあるから凄い!初版から18年目を迎えられる雑誌がどのくらいあるだろうか?私も10年ほど前にご依頼を受け、欠かさず巻頭随筆を5、6頁持たされ書いている。
昨日その『文藝 もず第18号』の掲載誌が届いた。いつもは、出来るだけ軽い読物にしているが、今年だけは敢えて小難しくした。このブログで連載のように書いてきた「祖父・菊池寛のルーツへの旅」である。
その物語は『三国志』の『魏書』の中にある『魏志倭人伝』から始まる。邪馬臺国(やまとこく)の話である。以前に書いたが、邪馬台国に屈さなかった狗奴国(くぬこく)の男王は卑弥弓呼(ひみきゅうこ)といい、その長官に狗古智卑狗(くこちひく)といった。その一族が住み着いた所が火の国、肥後の国熊本の菊池川あたりであり、後に鞠智城を造った。日本の三世紀あたりの話から書き始めた。後年、その城に藤原政則が入り、一代目当主が則隆云々。書いた私でも欠伸が出る。いつもは、高松市民を読者として見据えて書いていたが、10回目の記念として私の息子を読者と仮定して書いた。本に残せば、何かあった時に息子が調べなくても「だいたい解る」と思ったからだ。ときどき他人の家にお邪魔したとき「今、お茶の用意をしてきますから、どうぞテーブルにあるアルバムでも見ていてくださいな」と言われ、開くとその家の知らない家族や親戚たちの温泉旅行の写真だったりしてガックリする。逢ったこともない、知らない人の写真を見せられるほど辛いことはない。それと同じで、私も会ったことのない藤原の某だの、菊池某と羅列されると私でさえ怒りが沸く、いわんや菊池家と何も関係していない人たちをや!である。つまらなかっただろうなと思いつつ、奥付けの前の頁を読んだ。文藝もず18号の『編集後記』である。
今年は菊池寛の友人の一人、芥川龍之介が歿後90年の節目の年であることから、「歿後90年 芥川龍之介─その青春と友情」と題した文学展をおこないます。本展では、芥川の人生で最も輝いた青春時代を中心に、芥川が文壇への足掛かりに仲間と創刊した雑誌『新思潮』とその同人たち、書斎の再現、芥川の映像などを展示し、芥川の新たな魅力に迫ります。講演会や朗読会、コンサートなどのイベントも企画しておりますので、ぜひご来場ください。
と書かれてある。手帳を見ると9月16日である。私も大西市長と共に白い手袋をはめて胸に顔より大きい造花を付け、文学展入り口で紅白のテープを切る。