便利は不便?| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 193

便利は不便?

6月の終わりのころだったと思う。
日本全国が大雨に見舞われ、各地の雨量がレコードを更新した話がテレビのニュースを賑沸かせていた日だった。
私はその日『鬼平犯科帳』の著者池波正太郎さんのお気に入りの浅草にある鰻屋に行く予定が入っていた。

池波さんとは、長い付き合いをした。私が24歳ころの時だから、彼はまだ40歳の半ばだったろうか。昭和46、7年のころだった。確か東北地方で文化講演の旅にお供する時のことで、初めて講演をする昭和45年に第63回直木賞を『光と影』で受賞した渡辺淳一さんもご一緒した旅だったと思う。その時から11年後に小説誌『オール讀物』の編集者になって私は『鬼平』番となった。私が最初に池波さんから頂いた『鬼平犯科帳』のタイトルは、よく覚えている。『豆甚にいた女』だった。覚えていたのには、訳があった。頂いた原稿を社に戻り校正をしながら読んでいた時に、タイトルでなにか引っかかった。調べてみると、だいぶ以前に同じようなタイトル『豆岩の女』があったのだ。これは、編集者の勘働きで、覚えていたわけではない。なにか気になっただけだ。今になって私もモノを書く時に同じタイトルや似ているタイトルを付ける時がある。語呂が好きで、つい付けてしまうのだろう。池波さんに電話をした。「似たタイトルが昔『鬼平』にありましたよ!」と。「そうかい、じゃ豆甚にしよう。『豆甚の女』じゃまずいな、『豆甚にいた女』じゃどうかい?」それで決まった。ずいぶんいい加減な話である。それ以来池波さんが亡くなるまで付き合った。大喧嘩もしたけど。浅草の鰻屋には、池波さんに連れて行ってもらって以来、久々に行った。
二階の座敷から眼下に眺める大川は、少し水嵩を増していた。大川に沿った細道には、あのころ新内が三味と節で歩いていたのを思い出した。

浅草で何人かと待ち合わせていたのが、昼近くだった。私は、予定時間のだいぶ前から赤坂にあるオフィスの近くにある喫茶店で時間をつぶしていた。雨はこれから本降りになるそうで、小雨の降り始めだった。喫茶店のガラス戸が開かれている。顔なじみが私にエアコンが壊れちゃったの、暑いけどいいかしら?という。多少蒸していたが、嫌なほどでもなかった。出かける時間が来るまでの雨宿りだ。それも自由に莨を吸い、珈琲を飲み、本が読める。「ぜ~ん、ぜん!」と返事にもならないことを言って、私は中に入った。
二日後、その喫茶店に立ち寄った。中は暗く「本日はエアコン故障のため休業」とドアに紙が貼られていた。夏は暑いモノだ。ちょっと以前までは、エアコンなど無かった。便利は、人間をダメにする!