カジノ | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 162

カジノ

少し前に書いたが、私は早め早めに原稿を書いて編集者に渡す。
これは自分が編集者だったからついてしまった癖で、ギリギリまで締め切りを引っ張れない。編集者も忙しいし、その作家ばかりを担当しているわけではない。私が現役で文藝雑誌の担当をしていた頃、一番多い時には、50名の作家をひとりで担当していたときがある。
もちろん礼義として「あなただけの担当者ですよ!」てな顔をしているが、50名を担当していた時は、まさしく「死ぬかと思った!」。

今は、編集者でもあるが書き手もしている。編集者のことを考えると、ついつい早く書いてお渡しせねばならぬと思う。それだけではない、突然何が起こるかわからないのだ。風邪をひくときもあろうし、どなたかの不幸で書く時間が無くなる場合もある。そんなときに、組み置きの原稿を2~3本編集者に渡しておけば、どちらも心配いらない。ただし、物を書くという仕事は、料理人に似ている。古くなった素材を使うわけにもいかないし、前から作っておいた料理などを食べさせるわけにもいかない。味が落ちないように工夫しながら、美味しいうちに食べていただきゃならない。よって組み置きの原稿を書くのも難しい。今は、組み置き原稿が無い。何も書くことが浮かばなくても、掲載日の金曜日に間に合わせなければならないし、編集者が原稿を読み、校正をし、校閲もし、アップする時間も必要だから、いくらネット上の掲載であっても掲載日に渡すわけにはいかない。遅くても水曜日あたりが締め切りである。

今朝、オフィスに入る前にいつもの喫茶店ニュー・セムに立ち寄って何を書くかを考えた。が、出てこない。どうしても出てこない!何も出てこない!出てくるのは、まだご依頼も受けてはいないが、この10年近く連載させて頂いている高松市の雑誌『文藝もず』第18号のことばかりだった。
この『文藝もず』は、高松市菊池寛記念館が年に1回刊行している。今年、第17号であるから、平成11年頃に出版し始めたのではなかろうか。よくは知らないが、ともかく約200頁もある雑誌で、いろいろな方々が祖父・菊池寛のことを書いている。10年近く前に、私は父から高松市菊池寛記念館の名誉館長をバトンタッチしてから、この雑誌の巻頭頁2段5頁を任されている。
発行は、毎年6月頃だが、1月にご依頼書が届く。3月頃に締め切りのはずだが、私は、前年の暮れまでには書いておくようにしている。
書いては直し、書いては直す。私は、原稿のご依頼を頂くとあまり直さない。一度読み返し、直して編集者に渡す。それで終わりである。あまり捏ねると不味くなるからであるが、高松市が発行する『文藝もず』は、郷土の歴史家や菊池寛を研究されている大学教授、元大学や学校の先生をされていたような方々が中心になって組織されている菊池寛顕彰会のひとたちが読むらしいから、どうしてもいい加減には書けない。そこで、いつもと違い繰り返し直すこととなる。

今回ブログで何を書こうか、思いつかなかった。そんな時は、諦めるしかない。次の日に、またニュー・セムへ行ったら、働いているミッちゃんがいいヒントをくれた。「昨日、テレビ観てたらカジノが日本でも出来るんですって、カジノどう思われますか?」と、訊かれた。私にはカジノで想い出がある。
もちろん日本のカジノではない。場所は、イギリスのロンドンだった。もう30年以上も前の事だった。

私は、『追いつめる』で直木賞を授賞した生島治郎さんと『新宿鮫』の直木賞作家大沢在昌さんのお供をしてイギリスに渡った。ふたりとも賭け事が好きである。その時は、ロンドンに友人が赴任していた。彼はミッツ・マングローブのお父さんで、私の小学校からの同級生だった。彼に前もって連絡をしていた。
「なぁ、ふたりの作家のお供でそっちに行くんだけどさぁ、ふたり共にカジノに行きたいと言ってるんだよ。どこか良いカジノ知らないか?」私が訊くと、「会員制で小さいけど良いカジノに僕が入会してるよ、案内するから、そこでどうだい!」天の助けだった。韓国や香港、マカオなど大きなケバケバしいカジノならば私も行っているが、会員制で小さな洒落たカジノは初めてだった。

ロンドンの街中。シャーロック・ホームズでも出てきそうな街並みである。しかし、どこにカジノがあるか判らない。重厚なアパートメントばかりである。ロンドンタクシーの中で私がキョロキョロしていると、あった!アパートメントと思っていた一軒に重厚な扉、扉の両側にはフロックコートに山高帽子をかぶり、白い手袋をはめたイケメンがふたり、そこが目的地だった。どうりで、黒いリムジンが沢山停っている。ひと目では判らない。ふたりは丁重に礼をし、ドアを開けた。別世界である。全てがマホガニーで、入ると小さなエントランス。下に降りる大きな輪の螺旋階段がある。降りる途中の踊り場には、これまた重厚な両開きのドアがあった。友人の話では、レストランらしい。大きな螺旋階段から下を見下ろすと、ルーレットの台が2台と幾つかのブラック・ジャック用のテーブルがあった。「この階にしておきましょう!この下の階は、レートが高いから」友人は、ふたりの作家を案内して行く。私もチョコチョコとその後をついて降りた。作家ふたりは、楽しそうに興じている。ふと、階段を見上げると数人の美女に囲まれた石油王と思しき一団が降りてきた。どうやら下の階に降りて行くようである。石油王は、白い生地で出来たアラブの正装姿である。何百万、いや何千万だろうか。賭けは、金を持っている方が強いと聞く。資源を持たない自由社会主義の日本に、そんな大金持ちは居るのか?