閉門即是深山 145
祖父・菊池寛のルーツの旅(その五)
アス・ナ・ヘイアン・カマ・ナンボク。小学生時代、歴史の教師から嫌というほどに暗記させられた言葉である。「アス・ナ・ヘイアン・カマ・ナンボク・ムロ・アズチモモヤマ・エド・ゲンダイ」いろいろ教わったと思うが、これは特に役にたった。「アス」は、飛鳥時代。「ヘイアン」は、平安朝、「カマ」は、鎌倉時代、「ナンボク」は、南北朝。室町時代、安土桃山時代、江戸時代、現代、と日本史の時代を教えてくれた。「現代」とは、明治、大正、昭和、平成であるが、そこを括ってしまったところが、その歴史の教師らしい。しかし、これを暗記させられたことが大人になってとても役に立った。ありがたいし、学問がいかに大切か今になって思い知らされる。
速足ではあるが、菊池一族のルーツを探る旅は行きつ戻りつしながらも南北朝時代に入った。
しかし、菊池寛に纏わるニュースがNHKの携帯用情報として入ってきたので、一度南北朝で止め、現代に戻る。
私の携帯メールには、7月19日の19時29分とある。
「芥川賞と直木賞決まる。第155回芥川賞と直木賞の選考会が19日夜、東京で開かれ、芥川賞に村田沙耶香さんの『コンビニ人間』が選ばれました。また、直木賞には荻原浩さんの『海の見える理髪店』が選ばれました。」携帯の画面には、上記のような文面が通信されていた。
私のブログには、何べんも書いたことだが、芥川賞の正式名称は芥川龍之介賞と言い、直木賞は、直木三十五賞と言う。翌日、私が屯<たむろ>する赤坂の喫茶店ニュー・セムのお客さんの中で、両賞が話題に出たらしい。「この間、芥川賞、直木賞があったのにもう一年が経ったんだねぇ、一年て早いねぇ!」と言った方がいたらしい。芥川賞、直木賞の設立は、祖父・菊池寛がおこなった。まっ、南北朝時代から飛んで現代を書きだしたのも彼のルーツの一部がタイムリーにニュースになったからである。
知らない方も多いと思うので、ちょっと両賞について書こうと思ったのだ。
菊池寛の父親は菊池武脩(たけなが)と言った。(その一)から(その四)まで読んでくださった読者には勘づかれているかもしれないが、鎌倉時代あたりから一族の長男のほとんどに「武士」の「武」の字が用いられている。祖父の父も長男だったのではなかろうか。菊池寛は、8人兄弟の男子の4番目だった。兄が3人、姉が2人、それに妹と弟がひとりづついた。菊池寛は四男坊であったが、三男と次女が早世していた。よって、祖父の代からの家族には「武」の字はつかない。とてもアイデアマンで、また決まりごと不条理性を嫌った祖父は、自分の家族の長男に「樹」を使った。私の父は英樹、私には夏樹とつけた。なにか決まりごとを嫌ったわりには、矛盾しているようだ。吉川英治氏のご長男に祖父は名前をつけた。英明氏である私の父の兄弟のように「英」をつけている。
話がそれたが、祖父の父の代は、とても貧乏であった。時が江戸から明治に変わり、お城勤めをしていた菊池の家は、新政府によって職場を無くした。菊池家は代々お殿様にお勉強を教える家系で、儒学、朱子学の先生の家系にいつ頃からかなっていた。ルーツの旅を調べていけば判るかも知れないが、今は寄り道をしている。
さて、小説家になりたかった祖父は、勉強が出来た。四国でも当時1位、2位と言われたほどの秀才だった。後に祖父は「芥川君は、天才。僕は、秀才」と言っているが、彼の言う「天才」とは、努力をしなくとも才能が天から降りてくること、「秀才」とは、努力して才能を勝ち得ることをだと私は思っている。金が無い、貧乏の極致の中、「運」さえも彼に背を向けた。
イケメンで天才の親友芥川龍之介は、当時大流行作家で権力を持つ夏目漱石から可愛がられ、後押しをされ、大学生の時に『鼻』で作家デビュー、スターダムにのし上った。祖父は、漱石に「菊池君は、シャークが壁にぶつかった顔だね」と言われ、後押しさえしてもらえなかった。著名な作家の後押しがなければ、なかなか作家デビューが出来なかった時代である。
きっと、祖父の心の中に、頭の中に、この時、芥川賞・直木賞の構想が生まれたのではないか。誰でも、力さえあれば作家になれる平等のシステムを……。
しかし、それは永続性を必要とする。文豪や文壇の大御所と言われるようになって、彼は大正12年に『文藝春秋』を創刊、文藝春秋社を設立した。その12年後、順風満帆になった社をみて、彼が一番やりたかったモノに着手した。誰でも、力さえ持てば作家になれる平等なシステムである。
昭和10年『文藝春秋』新年号に掲載された「芥川・直木賞宣言」には、「一、故芥川龍之介、直木三十五両氏の名を記念する為茲に「芥川龍之介賞」並びに「直木三十五賞」を制定し、文運隆盛の一助に資することゝした。一、右に要する賞金及び費用は文藝春秋社が之を負担する。 芥川・直木賞委員会」と書かれている。次いで二つの賞の「規定」と「細目」が掲げられている。両賞とも個人賞であり、既に発表された無名若しくわ新進作家の創作中最も優秀であること。正賞は時計で、副賞は賞金であること。六ヶ月毎に審査を行うこと。適当な作品がなき時は、授賞を行わないこと。「該当者無し」があること。芥川賞は『月刊文藝春秋』に、直木賞は『オール讀物』で掲載されること。そして、審査は絶対に平等公平であること。等々が書かれている。
両賞は、毎年2度ある。我々は、これを『芥川・直木賞憲章』と呼んでいるが、頁が無いので全てはここに書けないのが残念である。が、なかなか優れた、考え抜いた「憲章」である。全て菊池寛が苦しんだ結果が表わされている。