閉門即是深山 138
低気圧
地下鉄からの少し長い階段を登るのが辛くなってきた。
地下通路を歩いていて、ふと、気がついた。ひとの背中ばかり見ながら歩いている。どんどんと追い越されていくのだ。
なんとなくだるい!
年をとった証拠だろう。家人は、夜中も私の行動が判るという。スリスリと音がするらしい。スリ足になってきているのだ。
先日、健康診断を受けた。毎年の恒例の行事で、サラリーマン時代から続いている。これだけは続けようと思っている、検査結果は、カラフルだ。若いときは、ほんの少しでも色が入って“要注意信号”が書かれてもいちいちビックリしたものだが、今や驚かない。去年と同じ要注意信号だからだ。そして、少しずつそれが増えてくる。「再検査を要する!」と書かれていて、喉から管を入れたこともあった。恥ずかしい格好をさせられお尻から管を入れたこともあった。それでも、なんともない。毎年、印刷でもされているのかしらん、と思うほどこの文章はカラーマーキングされて書かれている。それに、少しずつ壊れていく部位が増していく。本当に「死」の原因が見つかれば、早々と連絡が入るに違いなく、「即、入院を要す!」と特別な指示が下されるだろうが、それも無い。
ならば、大きな下剤入りの大きなペットボトルを渡され「2時間後に検査ですから、少しずつでいいから全部飲みほしてくださいね!」なんて嫌な思いは、したくない。お尻管は、多くのひとたちの面前でする訳では無い。せいぜい、医者と付きそう看護師2人くらいの前だから、相手が女性であっても混浴だと思えば、羞恥も薄らぐ。喉管は、私がゲ~ってしまうから鼻管にしてもらっているが、緊急でもないのだ。やりたくはない。
昔の謎々に、いや、スフィンクスが前を通る旅人に謎々をだしたという伝えだったか、「はじめは、4本。次に、2本。最後に、3本になるのは何~んだ!?」と、いうのがあった。「それは、人間だよ、お爺ちゃん!」「どうして?夏坊」「だって、そうじゃないか、赤ちゃんは、ハイハイだから4本で歩く。大人になれば、2本の足で歩けるんだ」「それじゃ、3本って何に?」「杖を突くから、3本だよ」こんな会話をしたものだ。
私のお爺ちゃん、菊池寛は、昭和23年に身罷った。59歳だった。父の生前「59歳で死んだ爺さんは、若死にだったんだねぇ!」と私が父に言うと「そうでもないさ、あのころは、皆そんなものだったよ」と言う。
祖父の写真を見ると、ステッキを持った写真が多い。たぶん流行りのファッションだったかも知れないが、あの今からたった6、70年前は、60代で身体が壊れていたんだろう。
それにしても、なんだかだるい。日本には、四季がある。素晴らしい国ではあるが、欠点もあろう。春先、全ての木々が芽を吹くころ、動物たちは、次世代を作る心が芽生える。人間は、四六時中だが動物の生理はかなり自然の摂理に従う。春2~4月あたりが一番エネルギーを必要とする。花も凍った地面や雪のかぶった土地から芽を出すのだ。生けるモノ全てにとって春先は、シンドイ時期であろう。やっとやれやれ5月に向かうとドッと、その疲れが出てくる。そして、日本の四季は、梅雨を迎える。低気圧が居座る。飼い猫や飼い犬を見ると判る。こんな時期は、じっとしている。無駄にエネルギーを消耗しないようにと。人間には、木の芽時とか五月病とかがある。人間は、特別な動物では無い。動物のひとつなのだ。だからだるいし、憂欝にもなる。
昨夜、昔からの仲間で作ったバンドの練習日だった。三軒茶屋のスタジオを借りている。以前は、同じ中学、高校の仲間と組んでいた。が、そのバンド仲間の2人が死んだ。残されたのは、3人だった。学校は違うが、私の家の近くに住んでいるお医者さんオノッチにサイドギターの助っ人を頼んだ。我々の昔のバンド名は[The XL-4]と言って4人組でスタートしていたが、途中でキーボードが入って[The XL-5]に解明した。今回、52年ぶりに4名のバンドができたわけで、バンドの名前も[Neo XL-4]とした。昨年秋深くに結成して、何度か練習、音合わせをしてきた。平均年齢70歳に近いロックを主としたバンドである。
オノッチは、いつもマスクをしているが、今ひとつ調子が出ないようである。
「この間、調子が悪くてね、もう大丈夫だけど3日間も40度の熱が続いてさ、下痢も止まらなくて、もう大丈夫だけど今でも大人のオムツを穿いてるんだ」
いつも帰りは、私の車に乗って三軒茶屋から帰るオノッチだけど、この日は、遠慮したからか、タクシーを呼んでいた。
私も何か原因は見当たらないが、身体がだるく、いまいち調子が出ない。ドラムは、リズム楽器だから調子が出ないとリズムに乗れないので困る。
人間は、動物で自然なものであるはずだが、便利にはなったが多くのものが人工的になり不自然になっていく今、その不自然さについていけないような気がする。
このブログもパソコンのワープロ機能で書いている。書いた原稿は、ボタンひとつでメールに添付され大阪にいるホームページの担当者の元に一瞬で届く。そして、校正・校閲を受けて毎週金曜日に全国で読まれるように配信される。便利になったが、あまりにも不自然で、人工的で、今後が心配になる。