閉門即是深山 29
隣人の歴史を知るべし
1週間近く前に、その本を見せられていた。
「こんな本があるんですよ、ママが是非一度見て欲しいって」
私は居場所がないとき、本当のことを言えば仕事をしたくないとき、よく珈琲を飲み、タバコを吸い、本を読む喫茶店「NEW sem」の女性から言われていた。
ちょうど、その喫茶店で浅田次郎著作の『マンチュリアン・リポート』(講談社文庫)を読み終えたときだった。
昭和3年6月4日未明、張作霖を乗せた列車が爆破された。関東軍の暴挙に激怒した昭和天皇の密命を受けて、若き軍人が綴った「満州報告書」で明かされる「真相」とは? 該博な知識と丹念な取材に裏打ちされた浅田史観で、闇に葬られた昭和史最大のミステリーを追う。絶好調『蒼穹の昴』シリーズ第4部開幕。と裏表紙に書かれた文庫を読み終えたときだった。因みにシリーズはこの読み終えた本の他に『蒼穹の昴』全4巻に『珍妃の井戸』、『中原の虹』を指す。
満州近くの馬賊、太祖ヌルハチから十代同治帝に至るまで、一系の皇統を保ってきた清王朝。同治帝の生母西太后、そして、ラストエンペラーまで、愛新覚羅(アイシンギョロ)家、その歴史を綴った壮大な小説群である。
中国は中国人の手で治めたいと思っていた西太后の死後、イギリスやフランス、日本を含めた外国8国の連合国が混沌とした中国の8分割を鵜の目鷹の目で狙っていたのだ。そして、国軍の将 袁世凱と馬賊上がりの満州人 張作霖のぶつかり合い。
今の中国を知るには少なくても、明を破って万里の長城を越えて北京の紫禁城に入った清の時代の歴史を知っておく必要があるかも知れない。
喫茶店で見せられた本は、立派な装丁の写真集であった。
茶色の布に近文字で『一億人の昭和史 上』とあり毎日新聞社と書かれていた。奥付を見ると2003年に初版されたとある。そんなに古い本ではなかった。
本には、ピンク色の付箋が貼ってあった。
貴重そうな本なので、丁寧にピンク色の付箋の貼られた頁を開いた。そこには、一枚の大きな写真と数行の説明文と題名が書かれていた。
頁の題名は「従軍文士」という。
昭和13年だから1938年にあたる。その年の5月、中国の徐州を占領した日本軍は、次の目標を漢口においた。その前年には南京を占領していたのだ。時の政府は、文壇からペンの戦士を選んで陥落間近な漢口の最前線に文士たちを送った。文壇動員計画である。
私の祖父・菊池寛を中心に22名の従軍作家が選ばれた。
菊池寛の友人作家 久米正雄、吉川英治、吉屋信子、尾崎士郎、佐藤春夫、川口松太郎、林芙美子、丹羽文雄他だった。
この大きな一枚の写真は、8月27日羽田を飛び立つ日本軍の飛行機の前で写された記念の一枚だった。男性は、軍服を着ている。吉屋信子を初め、菊池寛も花束を抱えている一枚である。
といっても、祖父やその仲間たちは戦争賛成論者でも右翼でもなかった。強いて言えば、戦争反対論者だった。しかし、国は、いや軍部と言ったほうが良いかも知れないが、無謀な戦争に突入した。祖父の考えは「戦争をしてはならないが、もししてしまったら勝たねばならない」だった。
現在でも言えるが、日本の国土には資源がない。多くの国民を飢えさせず、寒さから守り、小さくても幸せを感じさせるだけの資源や食糧、エネルギーなどが昔からなかった。小さな国土に人間だけが膨張していく。江戸が開城し、新政府が誕生した。そして、新政府は悩まなくてはならなかった。明治、大正、昭和初期は、そんな時代だったのだろう。
満州を我がものにしたかったのは、中国の中でも資源の多くある場所だったからだと思う。
言いかけたが、今でも資源がなく、他国から生産の注文をとって他国より資源を融通してもらって、品物にして売るのが、日本なのだろう。器用な日本人が生き延びる方法は、そこにしかない。トヨタや日産、松下やソニー、みんなその循環だった。しかし、その生産企業群の名前が小さくなってきた。韓国や中国がその地位を奪おうとしているからだ。日本人には、知恵がいる。欧米諸国から見れば最果ての小さな国日本。
日本人は、清朝のころにおこなったこと、太平洋戦争でおこなったこと、良く考え、反省し、次の一歩を踏み出さねばならない。
「NEW sem」で見せてもらった一冊の本、祖父やその仲間作家たちの写真を見て、ガラにもなく真面目に考えてしまった。
ガラにもないことを考えても、あ~ぁ、なにも浮かばないのだが…
そうだ、因みに祖父・菊池寛は、戦争を肯定した者といわれ、戦後連合軍GHQから公職追放、パージを受け、そのまま昭和23年に59歳で亡くなった。私の父は「そのころ親父は、いまでいう鬱のような状態だったなぁ」と言っていた。