長寿のわけ | honya.jp

閉門即是深山 23

長寿のわけ

150回になった。年に、2回である。戦争中の昭和19年にはあったが、20年から23年までは、敗戦の混乱によって4年間中断やむなきに至った。
1935年、昭和10年第1回が始まって今年で80年近くが経つ。
私の祖父・菊池寛が文藝春秋を創立させたのが、大正12年の正月だから、芥川・直木賞は、会社が出来てちょうど10年目に創設されたこととなる。

 

第1回目の芥川龍之介賞の受賞は、石川達三氏の著作『蒼氓』(そうぼう)だった。このときの候補作品は、衣巻省三氏の『けしかけられた男』、高見順氏の『故旧忘れ得べき』、太宰治氏の『逆行』、外村繁氏『草筏』の5作品。太宰治は、後日落選したことについて、選考委員だった川端康成に「月刊文藝春秋」の誌面を使って抗議をしている。

選考委員は、他に、菊池寛、久米正雄、小島政二郎、佐々木茂索、佐藤春夫、瀧井孝作、谷崎潤一郎、室生犀星、山本有三、横光利一といた。
直木三十五賞の第1回目は、川口松太郎氏の『鶴八鶴次郎』『風流深川唄』他、だった。候補は、6人。受賞者の他に、岡戸武平氏、海音寺潮五郎氏、木村哲二氏、濱野浩氏、湊邦三氏がいた。
この時代の選考委員は、大佛次郎、菊池寛、久米正雄、小島政二郎、佐々木茂索、白井喬二、三上於莵吉、吉川英治の面々であった。

現在は、テレビのニュースや新聞にも書かれているが、選考会は、築地の料亭新喜楽である。銀座から晴海通りを豊洲の方向に進み、築地の交差点を右に曲がって百メートルも歩いた右側にある料亭である。二階建ての料亭で、同日同時に、一階では、芥川賞を、二階では、直木賞の選考をおこなう。
第1回目の資料を読むと、選考会場は柳橋柳光亭とあった。
賞の副賞品は、以前も現在も時計である。1回目は、スイスのモバードの懐中時計だったらしい。さすが、正賞の賞金は、現在は100万円だが、当時は、500円であった。これで、金のことを心配しないで1年暮らせて原稿に集中できる金額と聞いたことがあった。
贈呈式の会場は、昨年まで有楽町にある東京會舘だった。が、東京會舘は、来年から工事に入る。建て直すらしい。3年は、かかるそうだ。ということで、今年の150回から帝国ホテルに移った。
第1回目の贈呈式は、日比谷公会堂(文藝春秋愛読者大会)とある。大きなお披露目だったに違いない。
2回目から31回目は、贈呈式会場が不明と資料にはある。このころ、文藝春秋社は、菊池寛の自宅から独立して内幸町にある大阪ビルに移っている。その地下に「レインボーグリル」というレストランがあった。会場は、そこを使ったのではないだろうか。そしてその後、文藝春秋新社内文春クラブやレストランアラスカなどが続き、1957年第38回の贈呈式は、東京會舘でおこなわれた。因みに、そのときの芥川賞の受賞者は、開高健氏であった。直木賞は、受賞作なしである。東京會舘だけではなく、銀座東急ホテルや新橋第一ホテルでやった記録も残っている。

戦前の賞金は、500円だったと書いたが、戦後第21回から再開したときは、5万円となった。1954年第31回芥川賞の受賞者・吉川淳之介氏(作品名『驟雨』)と直木賞受賞者・有馬願義氏(作品名『終身未決囚』)のときまで賞金は、5万円と続いた。そして、翌年32回から倍増され、10万円となった。吉川氏も有馬氏も腹の中で臍をかんだに違いない。42回目に直木賞を受賞した司馬遼太郎氏(作品名『梟の城』)のときも、43回目の池波正太郎氏(作品名『錯乱』)のときも副賞の金額は、10万円だった。
1967年、第57回直木賞、生島治郎氏(作品名『追いつめる』)芥川賞受賞者・大城立裕氏(作品名『カクテル・パーティー』)から、また倍増の20万円になり、1971年66回から30万円になった。現在の副賞は、100万円になっている。

 

そうだ、なぜにこの両賞が80年に近い長寿であったかの話だった。
今回、第150回の芥川賞は、新潮社の雑誌に載せられた小山田浩子氏の『穴』が受賞した。直木賞は、朝井まかて氏が講談社から出版された『恋歌』と姫野カオルコ氏が幻冬舎から出版された『昭和の犬』の2作だった。主催社の文藝春秋の作品は、1本も無い。両賞の創設者菊池寛の方針「審査は絶対公平」が一貫して守られてきたから社会が両賞を認めてくれたのだろう。だからこそ“長寿が誇れる”のだ。

最後に、菊池寛が両賞の創設にあたり“菊池寛の嘆き”を書いて筆を置く。これは、昭和9年と10年に『話の屑籠』(文藝春秋)に掲載されたものだ。
「芥川直木を失った本誌の賑やかしに亡友の名前を使はうと云ふのである」(昭和9年)
第1回の受賞作が決定された後「芥川賞、直木賞の発表には、新聞社の各位も招待して、礼を厚ふして公表したのであるが、一行も書いて呉れない新聞社があったのには、憤慨した」(昭和10年)

お爺ちゃん、今は、全ての新聞もテレビやラジオのニュースもこぞって報道してくれているよ!
そして、150回も続いているんだよ、良かったね!あんたは、エライ!