閉門即是深山 112
菊池寛賞
もしもし、××様でいらっしゃいますでしょうか?わたくし、日本文学振興会の××と申しますが!
えっ、もう一度お名前を?
わたくし、日本文学振興会の××と申します。
は~ぁ!
今、築地にあります新喜楽という料亭で第××回菊池寛賞の選考委員会が開かれておりまして、あなた様が授賞されましたが、お受け頂けますでしょうか?
は~ぁ!
きっと今年もこんな会話があったかも知れない。出版社関係や報道・放送関係の方々は、日本文学振興会が年に一度催すこの菊池寛賞が、どれほど大きなものかを知っている。民間の行う文化勲章のようなものだと。
しかし、菊池寛賞の対象は、広い。戦前の菊池寛賞は、45歳以下の銓衡委員により46歳以上の作家に与えられる、という大変ユニークな賞で文藝春秋の社長であった菊池寛が昭和14年に創設したものであった。初めは「自分の名前を付けるなんて!」と嫌がっていた菊池寛も周囲に推されて自身の名を冠にしたという。
第1回菊池寛賞は、徳田秋聲氏で選考委員は、横光利一、川端康成、尾崎士郎、小林秀雄、林房夫、堀辰雄、島木健作、河上徹太郎、深田久彌、武田麟太郎、船橋聖一、石川達三、冨澤有為男、窪川いね子、永井龍男、齊藤龍太郎と錚々たるメンバーが名を連ねている。第2回の受賞者は、武者小路實篤、里見弴、宇野浩二の3名。第3回目は、室生犀星と田中貢太郎の2名。第4回菊池寛賞は、久保田万太郎、長谷川時雨と中村吉蔵。5回目が、佐藤春夫と上司小劍の2名。そして戦中、昭和19年に第6回菊池寛賞を川端康成が授賞した。そして、この第6回をもって戦争によって中断を余儀なくされてしまった。戦後、昭和28年より再開されるのだが、菊池寛は終戦後まもなく、昭和23年3月に亡くなった。文藝春秋は、戦後の発展期を迎え、日本文学振興会は昭和27年菊池寛賞の復活を決定した。それが、現在に続くのである。
戦後の菊池寛賞は、菊池寛が日本文化の各方面に遺した功績を記念するために、戦前とは賞の性格を変えて幅を広げ、菊池寛の関係が深かった文学、映画、演劇、新聞、放送、雑誌・出版、及び広く文化活動一般の分野において、その年度に最も清新かつ創造的な業績をあげた人、或いは団体を対象としている。
昭和28年戦後第1回の菊池寛賞は、文学=吉川英治氏「新平家物語」、映書=水木洋子氏のシナリオ(「おかあさん」「ひめゆりの塔」「丘は花ざかり」など)、演劇=俳優座演劇部研究所の活動、新聞=讀売新聞社会部原四郎氏を中心とする同社會部の暗黒面摘發活動、雑誌出版=(一)扇谷正造氏を中心とする週刊朝日編集部、(二)岩波書店(寫眞文庫)が授賞した。
昨年の第62回菊池寛賞は、阿川佐和子氏、演劇の白石加代子氏、毎日新聞特別報道グループ取材班「老いてさまよう」、タモリ氏、花田光一氏が選ばれている。演劇関係では、第52回に中村勘九郎氏が、第55回市川団十郎氏、第57回坂東玉三郎氏、第61回に竹本住大夫氏が受賞している。先日、私宛に公益財団法人日本文学振興会の理事長から一通の封書が送られてきた。12月4日金曜日の「菊池寛賞」贈呈式とパーティのご案内状である。
「謹啓
時下ますますご清栄のことと、お慶び申し上げます。
平素より格別のご支援を賜りまして、ありがとうございます。さて、このたび第六十三回「菊池寛賞」が、次の通り決定いたしました。
半藤一利氏 『日本のいちばん長い日』をはじめ、昭和史の当事者に直接取材し、常に「戦争の真実」を追究、数々の優れた歴史ノンフィクションによって読者を啓蒙してきた
吉永小百合氏 長年にわたる女優としての活躍はもちろん、広島、長崎の原爆詩の朗読会を三十年にわたって続けており、東日本大震災についても被災者の詩の朗読を通して復興支援に尽くしてきた
NHKスペシャル「カラーでよみがえる東京」「カラーでみる太平洋戦争」 歴史的に貴重なモノクロ映画を国内外で収集し、徹底的な時代考証を行ったうえで、最新のデジタル技術を駆使してカラー化に成功。鮮明に蘇った映像は、視聴者に近現代史を体感させた
本の雑誌 従来の書評誌になかったエンタテイメント中心の書評、ユニークな特集、個性的な執筆陣などで日本の出版文化に独自の存在感をアピール。本年で創刊四十周年を迎えた
国枝慎吾氏 車いすテニスのシングルスで五度の年間グランドスラム、パラリンピック二連覇など輝かしい実績を挙げたことに加え、いち早くプロに転向しての活躍は、障害者スポーツに関わる人々に夢を与えた
私は、迷わず返信用のハガキに「出席」と書き、投函した。