閉門即是深山 68
田端と横浜
田端文士村記念館の担当の方からメールが入った。
文面からすると、今年1月19日月曜日の東京新聞の朝刊に記事が載ったので私に見てほしいとのことだった。添付ファイルを開くと、東京新聞の16面が送られてきている。企画名は「本を楽しむ」と題され、囲み記事のタイトルは「ほんの催し」とある。読んでみた。
(以下、引用)
田端文士村記念館講演会「田端に住んだ菊池寛と私」
3月8日、午後2時から。
東京都北区田端6の1の2、田端文士村記念館ホールで。
菊池寛の孫で菊池寛記念館名誉館長の菊池夏樹さんが講演。
定員100人。参加費無料。事前申し込みが必要。応募多数の場合は抽選。
申し込みは、往復はがきに「3月講演会希望」として
住所、氏名、年齢、電話番号を明記、返信用にも住所・氏名を記し、
〒114-0014東京都北区田端6の1の2、田端文士村記念館へ。
2月9日必着。1通につき1人。
問い合わせは同館=電・03・5685・5171。
以上が、新聞を拡大して送られてきた文面だった。
北区田端は、1859年安政6年の地図では江戸の北のはずれに書かれている。王子村や滝ノ川村より近いが、どう探しても田端村とは書かれていない。西ヶ原村が書かれていたので、現代の東京地図で照らし合わせてみると北区西ヶ原という場所が見つかった。田端は、西ヶ原よりやや東南にある。
古地図には、現在後楽園になっている水戸殿、今は地名だけ残る傳通院が画かれている。田端は、もう少し北にある。たぶん、松平越前守や藤堂和泉守、松平時之助と画かれたこの一帯であろうか。各大名屋敷の周りには田畑も多い。
明治11年内務省地理局作製図には、上駒込村、下駒込村、中里村や尾久村、本郷に囲まれたところに、田端村があった。やはり田畑が多い。
祖父の友人で後輩作家だった川端康成さんが、菊池寛が高松から東京へ出てきて25くらい引っ越しをした住所を資料にしてくださっていた。それを読むと、大正12年7月から現在の文京区本駒込に住み、大正12年10月から2ヶ月だけ田端に住んでいる。当時の市外田端523という住所で、まだ東京都が東京市だったころだ。その家は、室生犀星氏の家だった。どうも近所に祖父の親友芥川龍之介も住んでいたらしい。こんな関係から田端文士村記念館から私に講演のご依頼があったのであろう。上記東京新聞の記事が載ったからであろうか、順調にお客様からの事前申し込みが伸びていると聞く。もしご奇特な方がいらっしゃれば、どうぞ問い合わせ先で訊いてみて欲しい。なにを喋るか、まだ私も考えていない。
話が変わるが、先日や作詞家、バー「姫」のマダム、直木賞作家の山口洋子さんを偲ぶ会に出席した。ホテルオークラの別館2階で行われた会は、盛況で300人あまりの人でごったがえしていた。今から約33年ぐらい前、山口洋子さんが40歳の半ばのときで作家デビュー当時の私は、編集担当者だった。
最初に頂いた小説は、処女作の『貢ぐ女』。この作品は、第89回の直木賞候補作品となった。噂では、歌手五木ひろしさんを題材にしたと聞いたことがある。その翌年、『演歌の虫』の原稿をもらった。中編だったかな?『老梅』という作品とセットで一冊の本ができて、題名は『演歌の虫』と付けられた。昭和60年、第93回直木賞をこの作品で山口洋子さんは手に入れた。
会場の廊下にある喫煙所に入ると、歌手の五木ひろしさんがどなたかと談笑されていた。私は、考えあぐねた後、挨拶をすることにした。洋子さんの最初の編集担当者ですと。通じたのかも知れない。五木さんは、洋子さんと出会う以前からプロの歌手だったと聞いた。が、売れなかった。「これで落ちたら歌手をやめよう」と思って出演したのが、70年の秋の全日本歌謡選手権だった。その審査委員を務めていたのが作詞家山口洋子さんだった。五木さんの歌う姿をみて「この男は、人生を背負って勝負している。彼はいける」と洋子さんは、思ったらしい。以前からいつかコンビを組もうね、と約束をしていた平尾昌晃さんに声をかけた。平尾さんが最初に洋子さんの詩をみたとき「何だこりゃ?」と思ったらしい。その詩は、名詞の羅列だった。「そうか!間を作ればいいのか。駅のアナウンスみたいに『横浜~、横浜~』って」そしてできたのが、大ヒットを生んだ『よこはま たそがれ』だった。山口洋子さんは、多くの唄を遺している。内山田洋とクール・ファィブの『噂の女』、五木ひろしさんの『長崎から船に乗って』、『かもめ町みなと町』、『待っている女』、『夜空』、『千曲川』。中条きよしさんが歌った『うそ』、梓みちよさんの『淋しがりや』も美空ひばりさんの『ひとりぼっち』も石原裕次郎さんの『ブランデーグラス』や『北の旅人』も八代亜紀さんの唄『もう一度逢いたい』、『女心は港の灯』も、女心を書かせたら山口洋子の右に出る人は、いないだろう。
ところで、五木ひろしさんが作曲した曲に洋子さんが詩をつけた一曲がある。『渚の女』だ。新しくリリースされたという。洋子さんの遺影の前で五木ひろしさんが熱唱してくれた。私の目から我慢していたひと滴が落ちてしまった。