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閉門即是深山 10

次から次の嬉しい話

先週のこのブログで私は、さも忙しげなように書いてしまった。
多くの売れっ子作家たちは、新聞連載や週刊誌の連載、月刊誌などの注文と毎月の小説やエッセイの注文を受け、何本もの作品を同時並行的にこなしている。

私が現役で出版社勤めをしていたころ、ある売れっ子作家の担当編集のお手伝いをすることがあった。
その作家の字は読みにくかった。パソコンのない時代、その作家も毎月沢山の出版社や新聞社に作品を書いているのだから、ゆっくり、丁寧に書いていくわけにもいかず、悪筆にならざるを得なかったのだろう。たまに締め切りギリギリに入稿されてくるときがあった。時間的余裕がないのだから、編集部全員で印刷所が読めるように、全ての文字を赤字で脇に書きなおすわけである。皆で手伝う、私はそのひとりになった。当時は、やっとファックスが出来たところで、その作家から何十枚もの原稿がファックスを通して送られてくる。それを何枚かずつにわけて皆で赤字を入れる。手伝いをしているひとりひとりは、全部通して読んでいるわけではないから、皆、どんな話かわからない。
そんなとき、手伝いのひとりが主人公の名前を挙げた。「絵美子」だよね、「絵画の絵に、美しいの美、それに子供の子」。それに誰かが答えた。「恵美子じゃない?めぐむって字だろ?」。また誰かが「枝美子だよ、木のえだの枝だよ!」。私は、江美子と読んでいた。こう書けば、読者諸氏は「嘘だろう?」と思うかもしれないが、悪筆と写りの悪い昔のファックスのせいで混乱し、こうなるのだ。
これならまだ良い。担当者に言って、その作家に訊いてもらえばどう統一すればよいかが判る。そのときは「どの名前でも良いよ!」と作家から答えが返ってきた。ときどき作家の方のミスで他の連載の原稿が混じって送られてくることもあった。断片的に読んでいる助っ人編集者にはわからない。全部の仕事が終わって、担当編集者が通しで読んでいるときに「何んだこれ、○○出版社の連載の原稿が途中に混じって入っているぞ!」なんて慌てて作家に連絡をしている姿など時々見かけた。

私は、そんなに忙しいわけではない。むしろ暇を持て余しているわけだけど、逆に並行して文章を書くことが出来ない。ひとつ終わって、またひとつ。私は、作家ではない。だから許されるのだが、これまた不便である。締め切りが同じ時期だと、ひとつを早く終わらせ、次をじっくりと考えなければ書けない。じっくりといっても、すぐに思いつくこともあるし、何日も唸るときもある。だから、安全を期して、余計な時間を取ってしまう。

文春からの依頼で「芥川賞・直木賞との菊池寛の係わり」を書くのに時間がかかるかなと思ってパソコンにむかったが、それほど時間がかからず書けてしまった。まぁこのへんでと思ってメールで編集部に送ったが、すぐに返事があり、あまり直すところもなかった。
こんなことなら、先週のブログをもっと丁寧に書けばよかったが入稿してしまった後だから、後の祭りといえる。あんなに大げさに「今回は、別の原稿があるからこのブログをゆっくりと書けなかった」などという言いわけを書かなければよかった。と、反省した。

と、このブログを書いている途中に私の携帯電話のバイブレータが震え出した。
日本P.E.Nクラブで企画事業部の委員長をしているY氏の声が聞こえた。副委員長を引き受けてくれてありがとう!との、お礼の言葉だった。ペンクラブは、国際組織で、作家、詩人、編集者によって組織されている。
企画事業部がどのような仕事をしているか、まだ会議に出席していない私は、わからないが、組織員としては、何か役目をしなければならないだろうと、お受けしたのだ。
Y氏の声が続いた。「それからさ、2枚でエッセイを頼むよ!急ぎなんだ」

はぁ、いち難去って、また、いち難か!