怒り | honya.jp

閉門即是深山 103

怒り

先週のこのブログで、私が書くブログでは政治的なことを書かないように決めている、と書いた。しかし、少々とは言えその禁を破ってしまった。政治的なことは、書かないでおこう、と今でも思っている。

が、腹が立って収まらない。

私は、歳をとって出来るだけ怒らないようにしている。
が、怒りが咽に詰まって落ちて行かないのだ。

で、今回も政治的な話を書くことにする。先週書いたのだから、いまさら少し書いてもよかろうと自分を納得させて書き続ける。お読みになりたくない読者がいたら、ここでやめておいて頂きたい。

私は、日本ペンクラブの会員である。日本ペンクラブは、安保法制の決め方について大型連休の前に声明を発表している。その声明に対して、私は全面的に支持をしている。声明の骨子は「大事な法案を決める際に、政権中心の数の論理だけで決めるというのは民主主義の崩壊、破壊である。国民にとって好ましくも、望ましくもない方法は、看過出来ない」となる。

もちろん、国民にもクラブの会員にも賛否両論があって不思議はない。ただ、決める方法論だけを考えれば、シルバー連休以前の国会運営は大人のなすべきことではない。これは、政権に言っているのであって、議長を囲んで民意を伝えようとしている野党諸氏に言っているのではない。憲法は、法律は、権力を抑制するものである。と、いうことは国民は勉強している。その憲法や、法律を逆手にとって姑息な手段を用いて決めようとする人間性を看過できないのだ。

現首相、政権の長のお爺様岸信介氏とお話をしたことが、数度ある。私が学生の頃であった。岸さんは、現安保体制を作った人で学生運動の矢面にたった人だ。出会ったのは、いつも埼玉にあるゴルフ場だった。私の母方の姉が再婚した人は、東大の経済の名誉教授だった。その頃伯母は、夫と死に別れ妹である私の母の家に居候をしていた。私と一緒に住んでいたわけである。花束を片手に伯母のところに日参するその60代の伯父は、10代の少年から見ても可愛かった。私は、その新しい伯父に随分と可愛がってもらった。その伯父の親友が岸信介である。
私は、学生時代によく伯父と伯母のアルバイトとして、埼玉のゴルフ場往復の運転手をしていた。伯父や伯母がゴルフをしているとき、一日中ゴルフ場のクラブハウスで待っている。しかし、その間は、サインで何を食べても良いという付帯条件が付いていた。若者にとってサインだけの喰い放題は、やめられない。それに、アルバイトとしてかなりの小遣いを貰うのだから堪らない。その後、何べんも伯母から呼ばれた。さすがにひとり待ちに飽きたころ、プレーをしなくてもいいから運動靴を持ってくるように言われた。一緒に、コースを散歩するのだ。その時は、かならず岸信介さんが一緒だった。

話は、少し変わる。大学に入試するにあたって、私は、オタクだった。ストーカーとは、言われないものの、オタクに間違いはない。オタクの相手は、当時の憲法の大学者宮沢俊義博士である。私は、宮沢博士の授業を受けたかった。宮沢先生は、当時東大の名誉教授であった。私は、猛勉強をした。宮沢先生の授業が聞きたくて。宮沢博士は当時の「日本国憲法の番人」であった。東大紛争に嫌気がさした氏は、立教に法学部を創った。その1年後、オタク私の受験の時だった。東大を師が辞められたことは、私にとってラッキーだった。それなら、立教法学部1本に絞れる。私の大学受験経験は、その1回きりである。しかし、なかなか宮沢博士と出会うチャンスがなかった。3年の終わりになっていた。呑気な私は、法学部もレポートを出せば卒業出来ると思い込んでいた。久しぶりに学校に行ってみると、クラスメートたちは、4年生で受けるゼミの話をしている。「えっ、ゼミ?」3年でゼミを受け終わっている奴もいた。「おい、お前!法学部はゼミを受けないと卒業出来ないんだぞ!入学の時のオリエンテーションで言われただろが!」ガ~ン!留年か!しかし、同棲相手にどう言ったらいいだろう!留年よりその方が憂患だった。
神は、私をお見捨てにはならなかった!同窓の皆がゼミを決め終わったころ、掲示板に「宮沢俊義ゼミの開講」が貼り出された。結果、博士と1名の学生だけのゼミが開講された。自分で、愛弟子とは言い辛いが、この世の贅沢の極致である1年を神は私に与えてくれた。話を戻す。後で知ったことではあるが、私の伯父と岸信介氏と宮沢俊義氏は、親友同士であったらしい。

さて、政治的な話である。現政権を率いる首相は、岸さんの孫にあたる。私は、作家・菊池寛の孫だから、有名人、時の人の孫の気持ちがよく判る。しかし、その孫が気を付けねばならぬ落とし穴がある。それは「自分にはさほど力はないが、時の人であったお爺ちゃんの望みを繋げてやりたい」という気持ちである。これによって祖父と並ぼうという姑息な手段の魔力を思いつく。そして、実行していきたいという魔力にとりつかれる。
しかし、全く違うのは、素晴らしいブレーンの存在だ。岸さんには、憲法の番人で大学者宮沢俊義がいた。その他各分野に素晴らしいブレーンがいたに相違ない。だからこそ、最後に国民を納得させられることが出来たのだろう。
今の政権に素晴らしいブレーンが見当たらない。いずれ、国民は納得してくれるでしょう!という妄想だけで、ものを言っているように思われる。

ちょっと、待った!
このブログを書いているとき社主が来た!それも新しいパソコンを持って。
私のパソコンは、10年使っている。パソコンの寿命は判らないが、70歳にあと一歩の自分の身体のようにあちこち調子が悪くなっている。
このブログは、103回目だがまだまだ続けろという意味だろうか?でも、新しいのは嬉しい!