閉門即是深山 91
役得と言えようか?
私の携帯は、ほとんどの時マナーモードにしている。呼び出し音を出さなくし、バイブレータで着信を知らせる装置を作動させている。
訳という程の理由はないが、突然胸元でベルが鳴りだし自分がびっくりしない為だとしておこうか。しかし、このバイブレータも厄介で、歩いていてほとんど気がつかない。電車やバスも、そのもの自体が揺れているので気がつかない。せいぜい気がつく時は、自分で運転している場合が多く、気がついても携帯に出るわけにもいかない。携帯は、私にとって無用な長物である。だが、では止めればよさそうだが、そうもいかない。
ほとんどお金になる仕事は、この歳になるとない。しかし、高松市菊池寛記念館や日本ペンクラブ、日本文藝家協会、趣味の音楽仲間からの連絡など、ほとんどボランティア活動ではあるが、金の入らない仕事は沢山ある。また、編集者時代、現役活動を終えても今までと同じ時間割で生活したいという家人からの要望に頷いた手前、平日は何が何でも朝、家を出て、夕方帰宅することを守らねばならない。
不思議なことに、サラリーマン時代の職業は出版社で編集者を勤めていたので、朝、家を出るのは、普通のサラリーマンと大分違った。私は、通勤も近かったから11時ころには社に入っていたが、そんな早い時間帯では編集部は、ガランとしていた。よって、荷物を置いて、近くの喫茶店で読書、コーヒー、タバコを楽しみ、席に戻ると編集者の顔がチラホラと眼に入るようになっていた。
しかし、OBになった今、家を出るのは8時半ころである。その分、帰りは普通のサラリーマンと同じにしている。よっぽどのパーティーや会合がないかぎり、下戸な私は、夜出歩く所がないからである。
今、パソコンの前に座ってこのブログを赤坂のオフィスで書いているが、通勤で使う地下鉄溜池山王駅を降りてすぐに、携帯電話のバイブレータが震え出すのに気がついた。
バイブレータが3度で止む時は、メールの着信がほとんどである。私は、NHKに勤める友人の勧めで、年会費を払ってNHKニュースがメール配信されるシステムの会員に入っている。その会員のサービスの一環に一箇所指定すればそこの天気予報が受信できることになっている。そのシステムに加入した時は、中央区に住まいがあった。その後他区に引っ越したのだが、替える方法が判らず、今だに“現在の中央区”の天気がメールで届く。これが、また頻繁で私宛てのメールのほとんどが、住んでもいない、興味もない中央区の現在の天気である。ちょっと腹立たしいのは、高松市などに出張している際に「現在、中央区に雷雨注意報!」とか「20分後に中央区はどしゃぶりになります!」とやたらにメールに入ってくる時だ。
バイブレータが、3度以上震える時は、電話の入った証である。が、3度以上確認して直ぐに受話器を取らなければ、留守番電話サービスに移ってしまう。伸ばす設定が出来るのだろうが、老人には酷である。だから慌てて受話器をとる。
地下鉄を降りた溜池山王駅で3度以上バイブレータは、震えた。心臓が止まらんばかりに私は、受話器を取った。
相手の声は、聴き慣れていた。日本ペンクラブの事務方のベテランSちゃんである。皆が愛を込めてSちゃんと呼んでいるので、私も怖々Sちゃんと呼んでいる。Sちゃんの話し方は、いつも実に丁寧である。携帯の向こうで、Sちゃんの「もしもし、」という声が聞こえた。そして、私の名を呼んでいる。「はいはい、」と私は携帯に向かって声をかけた。
「大変な事が起こりました。今、事務局も知ったばかりですが理事兼企画事業委員長が倒れられました。救急車で病院に入ったのですが、原因が判らないようです。ご本人は、突然猛烈に痛い片頭痛がしばしば襲ってきているようで、その痛みは、尋常なものでは無いようです。一軒目の病院の判断では、それは一種の片頭痛ではないか?と言う診断だったらしいのですが、あまりの痛さなので、現在別の病院で精密検査をされているようです。このままだと、いつどのように治るか検討がつかないので、しばらくの間委員長の代行を貴方にしていただけないかと仰ってますが」
話は、実務に移った。急で申し訳ないが、来週栃木県の大田原市に行ってくれないかと言う。大田原市は、那須の近くにある。昔は、奥州街道の宿場町として栄えた町で、大田原氏の大田原城の城下町でもあった。人口は、7万5千人とも8万人とも聞く。那須川や八溝山系の里山に囲まれた自然豊かな風光明美な地である。この大田原市と日本ペンクラブには、14年前から強い絆が出来た。日本ペンクラブの一大イベントである「平和の日」那須大会が平成14年に開催され、以後定期的な交流事業「大田原市文学サロン」が始まった。
最初の平成14年「第18回平和の日・那須のつどい」には、故井上ひさし氏や、荒俣 宏氏、俵 万智氏、森 詠氏、林真理子氏、出久根達朗氏などが出演され、1100名近くのお客様を楽しませている。その後、新井 満氏、下重曉子氏、中村敦夫氏、阿刀田 高氏、椎名 誠氏、浅田次郎氏、故立松和平氏、落合恵子氏、今野 敏氏、森村誠一氏、津村節子氏など、さまざまな名士、文化人の講演会や対談が催されてきた。本年度の打ち合わせに大田原に行くようである。私なんかに務まるかしらん!