名前の由来 | honya.jp

閉門即是深山 107

名前の由来

10月24日土曜日、朝10時、那須に向かう新幹線の中で直木三十五の甥御さんの植村鞆音さんと吉川英治さんの息子さんの吉川英明さんと出会って、大田原市の文学サロンに向かった。

直木賞の直木三十五氏の本名は、植村宗一さん。漢字をご覧になればお判りになると思うが、ペンネームは、植村の「植」をばらしたもので、植村鞆音さんの著作『直木三十五伝』(文藝春秋刊)の第一部無名時代のペンネーム直木三十一の章には、

[ 大正十年暮れ、宗一はペンネームを直木三十一とした。これまで書いた雑文の類はほとんど、植村宗一もしくは北川長三の名を使っている。
 春秋社時代の『トルストイ全集』が、プランメーカーとしての彼の第一のヒットとすれば、「直木三十五」というペンネームの命名はさだめし第二のヒットといってもいいだろう。
 大正末から昭和の初めにかけて、時代も曲がり角を迎えていた。改名と翌々年の関東大震災を契機に、彼の人生もまた大きく転換していく。
「私の略歴」(『現代大衆文學全集續第八巻 直木三十五集』平凡社 昭和六年)には、「筆名の由来──植村の、植を、二分して、直木、この時、三十一歳なりし故、直木三十一と称す」とある。(中略)
しかし、ペンネームの年齢数を実年齢とともに成長させるというのがなんともユニークである。
 直木がなぜこのペンネームを使い出したのかはっきりしないが、翌大正十二年、翌々十三年は、年齢とともにペンネームも成長させ直木三十二、三十三、その後三十四を飛ばして大正十五(昭和元)年に直木三十五で固定し、以後成長させることを止めた。(三十四は“惨死”に通じるので使わないことに決めていたが、印刷所に回ったため「三十四」で発表された「苦楽」掲載の小説が一篇だけある)
直木は、大正十五年の「文藝春秋」新年号に「改名披露その他」というタイトルでその辺の事情をこう書き記している。

   三十一から二、三としてきたら「悪い洒落はよせ」と云われたので三十  
  三で留めておいたが、三三と重なるのは生命判断上極悪であるといふ。何
  うもさういふものらしい。余り貧乏が長すぎる。素人考から云つても「味 
  噌蔵」だの「散々」だのと通じては縁起でも無いと、これを「みとみ」と
  よんで「粋な名だんな」と云ふ仲居があるに至つては到底女との苦労断て
  る暇はあるまいと思はれる。一層四を抜いて三十五になる所以である ]

このように書かれている。

ペンネームとはなかなか面白いもので、推理作家の大御所だった故佐野洋氏も「さの、よいよい!からつけたんだよ」と言っていた。『黒蜥蜴』や『明智小五郎シリーズ』の著者江戸川乱歩も外人推理作家エドガー・アラン・ポーから名前をとったことは有名である。
この旅でご一緒する吉川英治氏のご子息の吉川英明さんの著書『父 吉川英治』(講談社文庫)の中に「自分の名前は、菊池寛がつけてくれた」という趣旨の文章が書かれている。吉川英治と私の祖父菊池寛は、親友であったから真であろう。

菊池寛の家は、長男に「武」をつける習慣があった。祖父の父、私の曽祖父は「武脩(たけなが)」といったし、今の菊池家本家は「武重」が継いでいる。先祖には、熊本県菊池市にある菊池神社の主祭神菊池武時、菊池武重、菊池武光などの武将もいる。ただ、祖父は四男であったため「武」は継げなかった。負けん気の強い祖父は、ならばというつもりで自分の筋の長男に「樹」をつけた。私の父は、祖父から「英樹」と名付けられている。なるほどと思う。「英」の字である。きっと祖父にとって、自分の息子と親友吉川英治の息子は義兄弟みたいな者と考えたに違いない。

もし、このブログをお読みになった読者の中で、お知り合いに「英」の字や「樹」の字がついたお名前で、菊池寛に関係があるというお人がいらっしゃれば、私に血が繋がっているかもしれないと思われても正しいかも知れない。父の話では、すれ違う女性を祖父は片っ端に口説き、外に結構多くの子供がいたらしいからである。
因みに私の名前も祖父が付けてくれた。6月生まれだから「夏樹」という。現在では、6月はあまり夏という感が無いが、旧暦で言えば夏の盛りである。
なんとなく、そんなことを想いながら那須に向かう新幹線の席に座った。

植村鞆音さんも吉川英明さんも、座談会の司会をしてくださる高橋千劔破(たかはし ちはや)さんも、第一部で講演される第108回直木賞作家の木久根達郎さんも皆、同じ車両である。
天気は、東京は晴れている。
定刻に新幹線は、東京駅を離れて行く。大田原は、晴れているだろうか?まだ、車両の中は、緊張ぎみである。
晴れてくれれば良いが、雨だとお客様の入りが違う。
車両のスピーカーを通じて、車掌の到着各駅の時間を知らせる声が流れる。まだ、皆の緊張感はとれていないようだ。どんな話になるかは、次号のお楽しみとして頂きたい。