先生は、美女! | honya.jp

閉門即是深山 14

先生は、美女!

人間は、おのおの弱点を持っている。私が今回書こうと思っているのは、外見的な弱点ではない。身体的な弱点のことだ。

ひとには、目鼻や耳、手、足などが付いているが、よく見ると皆少しずつ違っている。違っているから、個性があるのだが、当然、外から見ることのできない身体の中や機能も違っているはずだ。
私が、子供のころ、といっても2、3歳のころだった。自分では、記憶がない。そんなころに中耳炎になったことがある。戦後まもなくのことだから良い薬も無く、何日も高熱が続いたらしい。当時の医者は「このまま続くと死に至る」と診断し、私の父に進駐軍の将校を紹介してくれた。その将校から手渡されたのが、緑色をした白い粉で「赤ちゃんにこの粉を水で溶いて注射を打つときは、腕に打ってはいけないよ、足の太ももに打ってくださいね、腕だともぎれちゃう恐れがあるからね」父は、その将校のいわれるように、私の太ももに慣れない注射針を打ったそうだ。それで、私は、命拾いをした。その将校の名前は、トロッターさん。命の恩人の名前は、ボケた私の頭でも忘れない。その緑の粉は、当時の日本では珍しかったペニシリンだった。私は、両親に連れられて、赤坂山王神社の傍にあった山王ホテルに駐屯していたトロッターさんのもとへ御礼に行った記憶がある。戦後、山王ホテルは、進駐軍に接収されていたのだ。
トロッターさんは、カッコいい将校だった。胸に幾つかの勲章が飾られ、カーキ色の軍服に現在ケンタッキーの売り子がかぶっているようなこれもカーキ色の三角の帽子をかぶっていた。

中耳炎は、翌日直ぐに治ったらしい。大人になって気がついたことだが、私は耳が弱い。18歳のころにバンドを結成して、私はドラムを担当していたが、シンバルに共鳴したかのように時々中耳炎を起こした。耳や鼻、口は繋がっているように思う。中学生のころは、やたらに扁桃腺炎になり、“鼻づまり”も烈しくなった。
子供のころ、父は映画館の館主をしていて家に遅く帰ってくる。土日も休めなかったようだ、かき入れ時だったのだろう。テレビが普及される前だから市民の楽しみは映画だった。映画館は、夜遅くまでやっていた。
母は、ありがちな嫁姑の問題で家にあまり居なかった。もともと松竹の女優でニューフェイスとしてデビュー、すぐ戦争になったため夢を捨て父と結婚したひとだから、逃げ場があった。戦後、俳優座に入り女優として復活したものだから、家に帰ってくるのも遅い。子供だった私は、ひとり辛い“鼻づまり”と戦っていた。良い薬がある時代ではなかった。枕を半分に折り曲げて高くして寝たり、身体を壁に寄せて座るような態勢で寝ていた。横になって眠ることが出来なかった。「子供の浅知恵」を全てやった。寝るとき、このまま息が出来なくなって死んでしまうのじゃないかと、しょっちゅう思っていた。だから、小さい電気をつけたまま眠る習慣がついてしまった。今でも薄明かりの中でないと恐怖が襲い、眠れずにいる。大人になって、小さな照明をつけたまま眠る習慣以外は全て解消したはずだった。大人の身体になったからもう大丈夫だと思っていた。
が…、今から10年近く前に突然「あのときの鼻づまり」が、再発した。ある日、勤め先の近くで通っていた耳鼻咽喉科の待合室に、こんな貼り紙が。
「鼻の穴を大きくする手術をやっています!病院に入ってから出るまで、たった30分!たった2千円のレーザー治療!」
私は、それに飛びついた。私の鼻は、見ためには、大きい。香川・高松人の鼻だ。しかし、お医者さまに言わせると鼻の穴は、細く、小さいらしい。子供のころの“鼻づまり”は、このせいなのだろう。
手術後、何年か私は“鼻づまり”から解放された。

しかし、またしてもそれは私を襲った。
私は、近くの大学病院に通いだした。だが先日、鼻が苦しく過呼吸になってしまった。前日その病院に行ったのにもかかわらず、苦しさのあまり次の日も大学病院の耳鼻科を訪ねた。
「もう、私に出来ることはありませんね、鼻の炎症は治まっていますよ、出来るとしたら心療内科でしょう!」冷たいお言葉だった。探した、歩いていろいろな病院を訪ねたが、心療内科が無い。あるお医者さまが、ネットで探してくれた。そこは、私の住まいから一駅手前にある病院だった。心療内科とは、昔の精神~だろ? 私のこころが急に委縮してしまった。でも苦しい! 過呼吸は、苦しい! そこで意を決して、廻りをきょろきょろ見つつ、その心療内科のドアを開けて、驚いた!
若い! 美女! 可愛い! 優しい! 何でも私の言ったことを「うん、うん」と聞いてくれる。そして、健康保険が効く! 銀座だったら何万円盗られるだろうか?と、私は思った! その美女は、私の話しをゆっくりとひととおり聞いてくれた後、鋭い判断のひとことを発した!

「かれいですね!」
「えっ、華麗?」
「いえ、加齢ですよ!」

私は、2週間に1度その心療内科に通っている。通い詰めているといった方がいいかもしれない。現役のころだって、こんなに銀座に通い詰めたことはない、そんな私が…である。

そうそう、このホームページで、西村教授とSF作家瀬名秀明さんとの対談があります。私が進行したものです。
面白いですから、是非、読んでみてくださいね!