閉門即是深山 46
またまた「おひとりさま」について
祖父 菊池寛の次女、私の叔母ナナ子が亡くなって49日が過ぎた。その経緯の一部は、以前のこのブログに書いた。
菊池の家は、無宗教だと祖父が決めた。お坊さんは呼ばないし、戒名も書かないし、よって葬儀費用も普通より半減できる。宗教的儀式では無く、皆がお別れするだけの儀式なのだ。これは良い。多分、平家側の士族の家で生まれた祖父は、神道か、仏教か、であったろうに「うちは、無宗教にする!」と宣言してくれたおかげで、初七日も無いし、49日も無い。もちろん何回忌もしない。心の中で、いつでも思い出せばいいじゃないか!が、祖父の考えだった。子孫は、その分楽が出来る。お金がかからないようにとの祖父の考え、配慮だった。祖父は、合理的な、現実的なひとだったから。何でも「お爺ちゃんが、そう言っていた」と言えば、反論も無い。
しかし、「おひとりさま」が死ぬと厄介なのは確かだ。叔母は、連れ合いや娘を先に亡くしているから、実質上、おひとりさまだった。
余談だが「誰が、おひとりさまなんて言葉を作りだしたのだろう」と、この言葉を使うとき、いつも考えてしまう。わかりやすい言葉だが、負の言葉に感じてしまうからだろう。
叔母は、全ての想いを信託していたから、問題は無い。第三者が、その通り進めるだけだから、問題の起こりようがない。それは、「さすが叔母ちゃん、でかしたね」と言えるような、物語りの具現化だった。最後に、叔母の言葉で「みんな仲良くね!それを私は望んでいます」という言葉に目が潤んだくらいだ。
中味は、叔母が以前から喋っていたモノの考え通りだった。
ここまでは、パーフェクトだった。現在、結婚を望んでない“おひとりさま”や、また離婚して、子供のいない“おひとりさま”、いろいろな訳、ケースでおひとりさまになられている方も多い。男も女もだ。女性が自立出来る世の中になって、おひとりさまが多くなるのも、もっともと言えよう。
そんな方々は、公証人役場にでも行って「遺言」でも書いておけばよい。お金もさほどかからず、後の問題は解決する。
が、出来ないことがある。
生きているときには、便利な、健康保険や高齢者保健、年金証書の返還だ。これには、往生した。この国の老人にとって優しい心づかいの健康保険や年金は、死んでから戻さなければならない。これも、もらった時と同じ種類の義務だからだ。が、本人はこの世にいないわけで、代わりの誰かがしなくてはならない。
私は、「ホイ!」と返せば済むと思っていた。少なくても、3年前に私の父親が亡くなったとき、「ホイ!」と返し、役所も「ホイ!」と受け取った。それは、父とひとり息子の関係だったからだ。
叔母の場合、そうもいかなかった。私は「ホイ!」と渡して、「ホイ!」と受け取ると思っていたら、まず免許証か健康保険証を出せ、と言う。また、それらをコピーするとも言った。まぁ、個人情報云々は別として「死んだのは、俺の叔母ちゃんであり、身寄りが無いから善意で、やっているんだゾ!車の駐車代だって、ここまで来たガソリン代や高速料金だって自腹だゾ!仕事に時間を空けて来たんだゾ!欲しけりゃお前たちが、取りに来りゃいいじゃねいか!」と思いつつ、財布を開け、免許と保険証を出し、係のおばちゃんに手渡した。
あの、あのですね、おばちゃんは、私の心を読んだかのように申し訳なさそうな声を出した。あの、あのですね、あなたと叔母様の関係を繋げる書類、戸籍に謄本とか……。
父・菊池寛とその妻包子の間に3人の子供がいて、長女瑠美子が一昨年前に亡くなり、長男英樹には、私というひとり息子がいて、英樹は、3年前の6月に亡くなり、こんどは次女ナナ子が死んで、ここにこうして私が返しにきているという戸籍上の証明は、なかなか厄介だ。たまたま別件で一気通貫、証明出来るひと束を持っていたので、それを見せた。納得するように、それをコピーしおえた係のおばちゃんが、口を開いた。
あの、あのですねぇ、これから区役所に行って叔母様の住民票を一通と、貴方様のお住みになっている区役所で、貴方様の住民票を一通と、それから、叔母様と一緒住んでいなくても、亡くなるまでの何年か叔母様の面倒を貴方様が看ていらした証明を第三者にご署名を頂きですねぇ。
私のこめかみは、きっと漫画の方が読者に伝わるであろう、怒りの顔になっていた。「これが決まりなので…」係のおばさんが顔で言った。
「たとえば、介護センターの方とか…」
「ホイ!」が、東京中一周せねばならなくなった。
理由は、わかる。どうせ私の人相、風体が悪いからだろう。と、思うことにした。
「おひとりさま」にモノ申す。人に迷惑をかけないで死ぬことは、出来ないのだ。少なくとも、誰かがやらねばならない。
「○○何兵衛(住所)に、私の死んだ後の処理を任せますから。と、印鑑証明つきの証書でも書いて渡しておいて欲しい」
パスポート無しの海外旅行は、不便で、困難であるのだから。