閉門即是深山 47
「文春からの手紙」について
正確にいえば「公益財団法人 日本文学振興会からの手紙」と書くべきか。
ひと月以上前に、この手紙が手元に届いた。
「謹啓 ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
このたび、第百五十一回芥川・直木両賞が次の通り決定いたしました。
芥川賞 柴崎 友香氏「春の庭」(文学界六月号)
直木賞 黒川 博行氏「破門」 (KADOKAWA)
つきましては、賞の贈呈式と受賞者を囲んでの祝賀パーティを催し、
懇親の一夕を過したいと存じます。
ご多用のところ恐縮でございますが、ぜひご出席くださいますよう
ご案内申し上げます。 敬白
平成二十六年七月吉日 」
とあり、公益財団法人 日本文学振興会 理事長の名前が続く。
次に「記」とあり、
日時 8月22日(金)午後6時~8時(受付5時半より)
場所 帝国ホテル 2階 孔雀の間
と記されていた。
芥川龍之介賞と直木三十五賞は、年に2回ある。受賞式も8月と2月の2回だ。昨年の夏までは、有楽町にほど近い東京會舘で行われていたが建て直し工事が決まって、場所を帝国ホテルの「孔雀の間」に移した。
日程も、今までは、ほとんど8月の最後の金曜日としていたが、今回は、上手く調整が出来なかったのだろう。22日と言えば、東京は閑散としている時期で、お客様も夏休みの調整がしずらい。8月中に受賞式と決めてあるから、少々強引に、この日に決めたのだろう。
私は、このお誘いを東京にいる限りお断りしたことが無い。それは、自分がこれらの賞を担当していたからばかりではなく、若い作家にお会い出来る絶好のチャンスだからだ。
もう、40年近く前の話だが、私がまだ文藝春秋の文藝誌『オール讀物』の編集者だったころ、先輩編集者の愚痴を聞いたことがあった。
「菊池君なぁ、俺が担当した作家がみんな死んじゃってよ、つまらないったらないよ!」
酔いに任せて、その先輩は私に、作家と過ごした華やかだった時代を思い出すように、作家たちの名前やエピソードを語った。
その話には、柴錬さんこと柴田錬三郎氏や梶さんこと梶山季之氏の名前が出てきた。どうしても編集者は、年上の作家の担当者となる場合が多い。売れている作家たちは、キャリアがいるから年上にならざるを得ないのだ。また、若い、キャリアの少ない作家たちは、年上の編集者が怖いと、避けてしまう。
その時、私は、自分から若い作家に近づくことに決めた。
まだ、海の者とも山の者とも判らない作家たちと一緒の路を歩こうと決めた。
私が、現役時代に売れっ子で、担当させて頂いた池波正太郎氏、井上ひさし氏、生島治郎氏、佐野洋氏、松本清張氏も山田風太郎氏も深田祐介氏も、渡辺淳一さんまで鬼籍に入られた。もし、あの時、先輩編集者からあの愚痴を聞いていなかったら「なぁ、○○君よ、俺が担当していた作家がみんな死んじゃってよ、最近つまらないんだよ!」と、言っていたかも知れない。
あれから、私は、同い年か、年下の作家と出来るだけ付き合うように努めてきた。
大沢在昌氏や伊集院静氏、北方謙三氏や逢坂剛氏、浅田次郎氏、東野圭吾氏、宮部みゆき氏、京極夏彦氏、そして若い多くの作家たち、今や皆さん元気で良い小説を書かれている売れっ子たちだ。
私は、もう老いぼれ編集者だが、皆さんのパワーを貰いながら生き続けている。今だに、自分を“編集者だ!”と名乗れるのも、若い作家とお付き合いが出来ているからだろうと思う。
年上の先輩も大切だが、いざというとき力になってくれるのは、若者たちだとしみじみと思う。