菊池寛の『我が競馬哲学』その4 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

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菊池寛著『我が馬券哲学』その4

4回続けてきた、この『我が馬券哲学』は、昭和十一年四月に「モダン日本」という出版社から刊行された菊池寛著作の『日本競馬讀本』の中に収録された作品で、当時の競馬愛好者たちの心をとらえ、爆発的に売れ、ついには、“競馬のバイブル”とよばれるようになった作品です。時代により馬券のシステムは複雑になり、競馬好きの祖父の時代と随分変わってきました。が、時代により合わなくなった部分はあるでしょうが、根本の部分、哲学という部分は、簡単には古くなりません。

祖父は生前、50頭くらいの競馬馬を所有していました。友人作家で競馬友達、『宮本武蔵』を書いた吉川英治と一緒に馬を所有したこともあったようで、その1頭は、キクヨシ。もう1頭は、エイカンという名前だったそうです。ふたりの氏や名を馬の名にするなんて、ほのぼのとする逸話が残っています。菊池寛の所有する馬の半分近くに彼は「トキノ」を付けていたそうです。中でも、トキノチカラやトキノハナは、なかなかの馬だったと父から聞きました。トキノは、祖父の小説『時の氏神』から取ったのだと思います。

『時の氏神』という作品は、ある日一組の夫婦が大喧嘩をし、妻が家を出て行くことになります。妻は、自分の物を風呂敷に包み、玄関から出て行こうとした時、親戚の娘が飛び込んできました。話を聞けば、夫婦喧嘩をして家を出てきたと言います。また、泊まる所も無いと頼まれたのです。風呂敷包みを置き、誘い入れましたが、こちらもそれどころじゃないのです。そこで夫婦は、親戚の娘を早く夫のもとに返す方法を企んだのです。夕飯の時も眠る時も、娘の前でベタベタしました。翌朝、里心のついた娘は、夫のもとへ!そして、こちらも風呂敷包みをほどき、もとの鞘に収まりました。めでたし、めでたし!あの娘は、この夫婦にとって氏神様となったのです。今の言葉で言えば“ラッキー”でしょうね!
映画の大映の社長永田雅一を初代社長をした祖父は、可愛がりました。昭和23年3月祖父が急逝した頃に生まれた仔馬を永田雅一は手に入れ、トキノミノルと名付けたのです。今でも目黒のJRA競馬記念館玄関前の馬の銅像は、幻の名馬といわれたトキノミノルです。

では『我が馬券哲学』の最後の頁を続けます。

一、自己の研究を基礎とし人の言を聴かず、独力を以て勝馬を鑑定し、迷わずこれを買い自信を以てレースを見る。追込線に入りて断然他馬を圧倒し、鼻頭を以て、一着す。人生の快味何物かこれに如かんや。而もまた逆に鼻頭を以て破るるとも馬券買いとして「業在り」なり、満足その裡にあり。ただ人気に追随し、漫然本命を買うが如き、勝負に拘わらず、競馬の妙味を知るものに非ず。
一、馬券買に於て勝こと甚だかたし。ただ自己の無理をせざる犠牲に於て馬券を娯しむこと、これ競馬ファンの正道ならん。競馬ファンの建てたる蔵のなきばかりか(二、三年つづけて競馬場に出入りする人は、よっぽど資力のある人なり)と云わる。勝たん勝たんとして、無理なる金を賭するが如き、慎しみてもなお慎しむべし。競馬買いは道楽也。散財也、真に金を儲けんとせば正道の家業を励むに如かず。

※何週にもわたり、祖父菊池寛の書いた競馬哲学をここに書きました。探してもなかなか手に入らない菊池寛の『日本競馬讀本』の中の祖父の「我が競馬哲学」からです。途中4冊の本を創ることになり、飛び飛びの掲載を余儀なくされました。読み手の方には、陳謝いたします。書いているうちにアッという間に2024年も終わりに近づきました。読者諸氏に、厚く御礼申し上げます!皆様に、良い年が巡りますように祈願いたします。
では、来年もまた宜しくお願いいたします!